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千と千尋の神隠しのあのシーンの意味を理解できたっぽい、就職活動3か月目

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 日本人であれば千と千尋の神隠しを知らない人はいないでしょう。知らない人は、今すぐに自分の国籍や生まれた場所、自分がいま生きている場所が日本なのかどうかしっかり調べてみるべきです。

 

 

みなさん人生で一度はこのシーンを見たことがあるのではないでしょうか。

主人公の千尋が油屋という旅館?を運営してる湯婆婆の下で働くことになった時に名前を与えられる(本名を削られているので奪われているのかもしれないけど)シーンですね。

 

このジブリの映画が公開されたのたのは2001年なのでもう15年以上も前になりますね。僕が8歳?くらいの頃です。

この映画を見て育っていない現代の子供は何を見て大人になるのでしょうか。日本の未来は暗いかもしれません。

 

僕がこの映画を始めてみたのも10歳前後だとは思うのですが、この神童と言われた(自分で言ってた)さすがの僕でも、10歳でこの湯婆婆に名前を与えられるシーンを見ても何も感じず、何のメッセージも伝わっていませんでした。

 

しかし就職活動をしている、経験している今、このシーンを見るとまた違った見方を感じるようになりました。

僕も今や主人公の千尋と同じ境遇ですからね、同じ立場になってみると気が付くこともあるもんです。

今回はそんな感じのお話。

 

この話をする前提として就活の話をしなければなりません。

 

 

 

企業で働く社会人になるということ。

 

今更ですけど、就職活動って気持ち悪くないですか?

春になると電線に異常発生したカラスの群れみたいに、みんなして黒いスーツ着て、似たような髪型にして、この瞬間だけ何かに憑りつかれているような、何かが憑依しているような、そんな感じ。

しかし、みんなと同じ格好をして、同じ行動をとっていることに一種の安心感も感じているのも事実です。たまに個性を取り違えて私服だったりする人もいますけど。

 

でもこれが社会に出る、社会人になるという事でもあるんですよね。

 

社会人としての常識、礼儀、マナー、身だしなみ、息遣いがありますから、これに反発していても、社会不適合者なだけです。

不適合者は言いすぎました。でも一般的な社会人になるのであれば、これが普通となるのは当たり前ですし、これが社会、企業の一員になるための条件みたいなものでもあるように感じます。

 

 

会社で働くという事。

 

でもなんでそんなことしなければならないのでしょうか。

まぁ要するに郷に入っては郷ひろみというです。社会人になる、会社の一員になるという事は大きくも小さくも、その団体や組織の一員になるのですからそこで決められているルール的なものに従う必要があります。

野球のチームでもバラバラのユニフォームは着ないでしょう。それと一緒です。

 

ここでは「個」はなくなるんですよ。魂を売っているんです。その企業、会社に。

 

千尋が湯婆婆に名前を変えられる所のメッセージはこのようなことを言いたいのではないのかと思います。千尋は湯婆婆の下で働く、あの油屋の従業員となる契約として、もう千尋ではなくなって、そこで働く一つ駒である「千」になるんですね。

 

これは日本の企業で働くことも同じです。

名前は改名させられはしませんけど、ほとんど「個」は関係なくなります。

 

例えば、僕がニ〇テンドーで働くことになったとします。そこで僕は素晴らしいアイディアで、新作のRPGの案を提案し、それをゲームとして発売したとしましょう。

この発売されて、かなりの人気、好評を博したとしても、世の中の反応はきっと、こうなるでしょう。

 

「あのニンテ〇ドーがすごい面白いゲームを発売したぞ。」ってね。

 

かくほーが作ったわけではないわけです。

まぁドラクエみたいに日本を代表するRPGにもなれば、いつかはかくほーが作ったという事は世に知らしめられる可能性はあります。テレビや何かのバラエティとかのインタビューとかでね。

でも基本的に僕が作ったことよりも、僕が所属しているニンテン〇ーからそのゲームが出たという事になります。功績としてその分称賛されるとは思いますけど、結局僕はニ〇テンドーに魂を売っているので、僕が開発したものは、ニン〇ンドーの開発したことになるんです。

 

会社や組織の一員として働くという事はそういうことになるんです。

 

 

 

離職率がどこも高いよねって話。

 

しかしながら、今やその前提を理解している人が少なくなっているのかもしれないと感じたのは、就職活動でみんなが気にしている離職率という観点。あんまり詳しくわかりませんけど、少なくとも僕が見ている教育業は、平均離職率が3~4割となっていて、問題視している人もいるようです。

 

離職する理由でよく聞くのがこういう例かなというイメージは皆さんもお持ちなのではないでしょうか。

 

「やりたいことではなかった」

 

ってやつ。

もちろん、他にもたくさんの理由があると思いますよ。職場の人間関係とか、給与の問題とか、病気になったとか、怪我で働けなくなったとか、犯罪を犯して逮捕されたとか、手から石油が湧き出て働く必要がなくなったとか。

 

 

でもこの「やりたいことではなかった」という理由の退職は割とメジャーな理由に分類されると思うんですけど、

この言い分だけに関してはお門違いじゃねっていうのが僕の意見です。

 

さっきも言ったように就職活動を通して、会社で働く(働かせてもらっている)という事は魂を売っているんですからね、ほんとはそんな戯言言ってるような立場じゃないと思うんですよ(笑)

当たり前っちゃ当たり前なんですけど、自分のやりたいことや思っていることが上手くいかないのは、当たり前です。自分で作って、自分で動かしている会社ではないのだから。

それは皆さんも家族という組織で経験しているはずです。家族における決定権やそれを支えている人物は、少なくとも生まれたばかりの子供に与えられていないはずです。

僕もよく家出してやると思って外に出ても、門限までにはしっかり帰ってきていました。

 

やりたいことがあるのは別にいいですけど、それが出来ないと言って会社を辞めるのはおかしな話です。そもそも就職することがおかしな話です。起業すればいい話で、就職する、魂を売るという前提を理解していません。

 

 

 

でも就職はしないといけないというマインド

 

じゃぁなんで就職するの?って思うじゃないですか。

起業すればいいとか簡単に言ってくれちゃってみたいな。

 

それは簡単で、高校卒業、大学卒業したら、まずは自分で稼いだお金で食っていかなければならないからですよ。これは言葉にせずともみんな頭の隅にこのマインドが存在しているからです。

 

このマインドと、自分の人生設計として「やりたいこと、夢」がごちゃまぜになってしまっていることが問題なんですよ。

 

別に夢を持つなとかそういうことを言いたいわけじゃないんですけど、とりあえず自分が生き残るためには、「やりたいこと」と「やれること」をまずは別々に分けて考える必要があるという事です。

それがごっちゃになっているわがままちゃんはどこで働こうが、転職を続けることでしょう。

 

夢ややりたいことは持っててもいいですが、それを実現できるのは自分自身だけです。理想は似ているようでちょっとずつ異なりますから、自分が好き勝手動かせるような道具を使わなければ100%自分がやりたいことは達成できないと僕は思っています。

 

社会に出て、会社の社畜になるというのは至極当たり前なことなんですよ。

働くという事はそういう事です。

 

もちろんやりたいことや、やりがいを感じることができるような業界や企業を探して限りなく理想に近い仕事ができる会社を探すことも大切ですけど、それは今まで僕が述べて来た働くことという話があっての話です。

 

僕にも夢ややりたいことはいくつかありますが、それに手掛けられる日までそれはしまっておいて、天職を探すのではなく、自分の受け入れてくれた会社が自分の天職と思えるようなマインドでとりあえずが頑張ってみたいもんですね。

 

 

というお話でした。後半、千と千尋の話から少し離れてしまった気がするけど、何が言いたいかっていうと、千尋はかわいいってことです。

 

 

 

おし卍

 

 

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