【過労死】なんてものとは一生縁がない人生を送りたいもんですね
「日本には行ってみたいけど、旅行で十分だ」
「日本は仕事する環境以外は完璧なんだけどね」
以前日本の文化が大好きで日本に住むことを夢見ている友人が言っていました。
彼は今ベトナムで子供達に英語を教えているエジプト出身の方です。
日本のことが大好きで、日本に行きたいといつも言っているんですが、この手の話しをするときはいつでも日本は行きたいけど住むのは難しいという話になります。
彼の日本に対してもっているマイナスイメージはこんな感じ。
1.まず基本的に何でも高い
2.しかし生きるためにはお金は必要である
3.なので一生懸命働く
4.疲れる
5.死ぬ
簡単にいうとこんな感じのステップを踏むらしいです。(笑)
まぁ突っ込みどころもなくはないですが、これが正しいのか間違っているのかは問題ではありません。海外の人が日本に対してこういうイメージを持ってしまっているというのは揺るぎない事実だからです。
また、他の友人でベトナム人の方はこうも言っています。
「日本人はすぐ死ぬみたいだね。ほらよく電車に飛び込むんでしょ?」
まぁまぁ、否定はできませんよね。
僕も海外に来て、異文化交流として、日本のいいところをできるだけ話してはしているんですが、これに関しれは僕も日本をフォローできませんでした(笑)
でもこれは海外の人(特にベトナム人)にとってはかなり珍しいことなんです。
えっ!?いや珍しいというのは電車のことではないですよ?ベトナムを馬鹿にしすぎです。
確かに僕もベトナムに来て2か月、彼らと一緒に働いているんですが、彼らにとって過労死なんて言葉は無縁なんだろうなというのを感じるようになりました。
先ほどのベトナム人の友人はこうも言っています。
「日本人はすごいプレッシャーがかかってストレスフルだしね。だから自殺するんでしょ?」
確かに、日本で過労死する人、仕事でうつ病になってしまう人、それで自殺してしまう人、そういう人は僕らの想像を絶するほどのプレッシャーやストレスを抱えているんでしょう。
ベトナム人にとってはこれが理解できません。なぜなら彼らは自分のために働いているんですからね。
日本人はどうなんでしょうか。僕の勝手で主観的で何の根拠もない考えなんですが、みんなは自分のために働いていると言えますでしょうか?
何をもって自分のために働いているといえるのか、どんな状況が自分のために働いていないというのか、それを定義することは出来ませんが、少なくとも結果的に病気になったり死んでしまったりしているようでは自分のために働いているとは言えないのではないでしょうか。
死にそうになるまで働いてお金を稼いだり、達成感で自分が幸せになれるとかいう考えなら、なんかそれは「自分のため!」というのを何かはき違えているように感じなくもありません。
例えばベトナム人の特徴としては、よく転職します。働くことに対しても認識としてそもそもそういう文化というのも少しはあるかもしれませんがべトナム人は、少しでもよい給料が得られる仕事を見つけたらすぐそっちに移ろうとしますね。
また自分の成長がこの会社ではできないと思ったらすぐに辞める決断をすることができます。それほど私的理由?で自分の人生を選択しますし、その勇気をみんな持っていると感じます。
そういう考えの人たちが、死にそうになるまで会社のために!とか上司に逆らえないから!とかいう理由で自分に迫っている危機から回避できないということはないんですね。おそらく。
あと変なプライドや、執着心も無いのかもしれません。
例えば大学で日本語や英語のような言語の勉強をしてきた人でも、急にITやプログラミングに興味を持ったと思えば、今までの勉強とは関係なくてもそれを挑戦しようとします。せっかく日本語を勉強してきたのだから、それを生かさなきゃみたいな変な強迫観念?みたいなもので自分がつぶされることも無さそうです。
僕もそういう経験があります。
僕は小学校から高校まで野球をやっていました。それは良い経験でしたし、野球に出会えてよかったし、後悔しているわけでは全くないんですが、今思えば心底自分がやりたいことだったのかと思うと、自信をもってそうとは言えません(笑)。
小学校から野球をはじめ、中学では学校の部活ではなく、市内のクラブチームに入れてもらい、高いお金を親に払ってもらってまで、野球をしてきました。
野球は嫌いではなかったんですが、実際お世辞でも得意とは言えないし、正直チームメイトの大半ともあんまり馬が合わなかったので、今思えばそれを続けるまでに見合うほど得られるものはほとんどなかったかもしれません(笑)
でもその時の僕は、ここまで野球をやってきたのだから、野球を続けるのが当たり前、続けないと今までやってきたことが無駄になる、もったいない、親に申し訳ない、などと無意識に思っていたので、野球をやめるという選択肢はその時もそれからの未来でも考えられないことだったんですね。(笑)
運よくそれが違うということに気が付けるようなきっかけに出会って今では野球とは全く離れた人生を歩んでいるんですが、もしそのきっかけが無ければ、大学でも野球部に入って、その脅迫観念による人生が続いていたでしょう(笑)おそらくこんなブログも書いていませんし、ベトナムにも来ていません。ベトナム人は野球しませんから(笑)
話は少しそれましたが、日本人の方には僕みたいな人が少なくないのではないでしょうか。今までやってきたことを簡単に捨てて?というか、活かすことはないかもしれなくても、自分の好きなことをやろうと踏み出すことは出来る人はどれくらいいますかね?
ベトナム人はあくまでも自分の幸せ、自分の納得度が優先されるから、そんなストレスフルな生活に苛まれることはないのかもしれません。経済競争が激しくないからという背景もあるのかもしれませんが。
そういう考えの人たちの集まりでもあるので、会社側でもそういう強制的に仕事をさせたり、残業させるほどの仕事量を与えるようなこともしないかもしれません。あったとしてもベトナム人は残業あまりしたくないのでしないと思いますが(笑)
そもそも社会主義のベトナムと、経済競争が激しく?民主主義?資本主義?な日本とでは簡単に比べることは難しいのはわかってはいます。
でも日本ももう少し、できるだけ多くの人が、自分のために生きることができる国になればいいなと思いますね。
ま、でも今日本でも過労死は問題になっていて、残業をなくすとかいろいろ対策を考えているみたいですが、結局はその国民の意識の問題も大半の要因ということかも知れませんね。
「自分のため」をの意味をはき違えたままでは過労死は減らないのかもしれません。