なんでベトナムに行ったんですか?って質問多すぎワロタ
こんにちは。来週の土曜日に卒業がかかっている卒業論文の発表会を控えている、全日本どうしても卒業したい協会、代表の本間郭鳳と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
今、大学のラウンジで卒業論文発表会のプレゼン資料を作っているのですが、表紙を作ったところで集中力が切れ、Blogを書いている次第です。ちなみに表紙はこれです。
どうですか?こんな奴が卒業出来たなら、日本の消滅の日も近いです。
「大学4年間で何をしていたんですか?あなたに限っては5年目でしょう?」
と、怒ったうちのゼミの先生が僕に問いかけるのが目に浮かびます。
この4年間、バイト、麻雀、飲み会、ベトナム、スマブラしかしてきませんでした。
申し訳ありませんでした!!!!
しかし今でもこう見えて僕は暇ではないのです。このまま無事に卒業できれば、晴れて社会人になれるわけですが、僕が行く予定の会社ではもうすでに2020年度に入社する次世代のためのインターンシップが行われています。
僕はそれに内定者として現大学3回生の、2019年の就活生に向けて、自分の経験やアドバイスをする座談会に参加しており、そのための準備で忙しいです。来月にも大掛かりなインターンシップがありまして、少なくともその準備として、その日程をスケジュール帳に書かなければなりません。頭の中で「来月はこの日程はインターンシップだな」と意識するためのエネルギーも必要です。
この通り、大変忙しいし、苦労を要するのです。
また、就活生から来る質問も、簡単なものばかりではありません。答えがない質問ばかりが容赦なく降り注ぎます。その質問を素早く拾って満足のいく回答を用意しなければなりません。そのためには、らんまも習得に苦労していた、火中天津甘栗拳を僕も来月までに習得しなければいけないでしょう。
ところで就活生から来る質問で、僕に対して一番多い質問が、
「どうしてベトナムに行ったんですか?」
という質問です。
自己紹介のプロフィールでベトナムに行った、なんて豪語してしまっているせいで、みんな質問してきます。これは大変難しい質問だからです。
どうして難しい質問なのか、どうして答えにくいのか、なぜそもそもこんな質問が飛んでくるのか、自分なりのアウトプットととして、記事を今日は書いていこうと思います。
なぜベトナムに行ったか
まず僕の意見としては、2点ありまして、
1点目といたしましては自分が行ったことのない世界に行って、生活してみて、異文化を肌で感じたいと思ったからです。グローバル思考が進んでいく現代において、他の国の人たちと異なった価値観を共有し合う事が、自分のメリットになると思ったからです。
2点目といたしましては、ベトナムがこれから日本の社会に大きな影響を与えると感じたためです。具体的に言いますと、今では日本は人手不足な環境にありながら、IT化が進み、特にエンジニアなどの人材が必要となってきています。この現状は今後も拡大していくでしょう。またベトナム社会においても、第一外国語が英語から日本語に変化していることにも見られるように、日本への留学、出稼ぎなどの受容が高まっております。そのため、ベトナムでインターンシップを行うことが自分にとってのメリットだと感じましたので、この海外プログラムに参加することを決めました。
とか素晴らしい回答を僕がするとでも思った!!!!?????
残念ながらそんな立派なことを僕が言えるはずが、いや、言うはずがありません。
日本人は本音と建前が重要なのです。
素直に且つ端的に言うと、
「面白そうだから」
という言葉に限ります。
そりゃそうでしょう。面白そうだから、ワクワクするから以外にどんな理由が人間の行動に起因するというのですか。
なぜ興味を持ったのか、なぜ面白そうと思ったのか。それはもう価値観の問題です。僕がそう思ったのだから、そう思うのです。
よくよく考えてみたら人間が主体的に行動を起こす場合は、基本的に自らの価値観に沿って生まれた興味から来るものなのです。好きなことでやっている場合は、なんで?どうして?の根源をたどれば、「私がそう思ったから」となるわけですよ。
なのでどうしてベトナムに行ったんですか?と聞かれても、母親がベトナム人と不倫していたのでその調査をするために行った。とか、大学でお前はベトナムに行かない限り、卒業認定を受けることができないと脅されたから、とかいう面白い理由は僕には無いわけです。
では、この質問をしてくる就活生のマインドとは
とはいいつつも、実際には、内定者から就活の経験やアドバイスをもらえる貴重な時間を割いてでも、この質問をしてくる就活生がいるのが事実です。僕を尊敬するあまり、僕という一個人の人格を知りたいという欲求を持ってくれることは大変ありがたいことなのですが、それならこの時間ではなく、この後に飲みに誘ってくれたりして、一緒に飲みながら聞いてくれれば、いくらでも教えてあげるのに、と思います。特に女の子でしたら大歓迎です。むしろ僕から誘います。
そうでないにしても、この質問をしてくるという事は、何か目的を持って行動しているというのが当たり前という眼鏡をかけてしまっているからではないかと僕は勝手に思っています。
考えてみてもください。みなさん子供の時に、虫を見つけたら、触ってみたり、殺してみたり、食べてみたりしましたよね?え、僕だけですか?
後さき考えずに、好きなことをやって、壁や机に落書きをして、お母さんに叱られたりもしたでしょう。
高校時代の学祭はどうですか?模擬店で焼きそばをやったり、お化け屋敷をやったりしたときに、しっかりと世論調査をして、人々のニーズを調査して、統計を取って、重回帰分析を行った結果、焼きそばの模擬店をすることになりましたか?
おそらく違うと思います。
人はいつから、ワクワクすること以外のことを進んで選ぶようになったのでしょうか。確かに社会に出たら、行動を裏付けする理由は必要ですが、それは後付けの裏付けでいいのです。なぜかというと、やってみないとわからないからです。
何も考えずに面白そうだからやってみたお化け屋敷、終わってみたら黒字だった、大盛況だったという経験も少なくないと思います。もちろん失敗もあると思いますが、別に目標を建てなかかったからと言って、失敗から学ぶことはできないなんてことはありえないのです。
人の行動のすべてに理由があると思ってはいけません。あっても無くても、聞いたところで。と思うのは僕だけでしょうか。多分僕だけです。
時には必要かもしれませんが、そういうマインドをしすぎるのもよくないと思いますね。
じゃぁ何を伝えたいのかというと
まずそういうマインドをし過ぎないで、自分でも好きなことをやっている、ワクワクするからやっているというマインドを持っているということを意識的に持った方がいいのではと思いますね。
変に目標を立ててから行動しても、面白くないから続かないし、失敗するし、日本人は自殺しがちなんです。
面白そうと思ったことをやっている意識はありますか?
僕は人間のメカニズムである、トイレで排泄するという行為は全くワクワクもしないし、楽しくも面白くもないので、はやく人造人間になりたいと思っています。
これから就職活動を始める大学生にも、ワクワクするから、面白そうだから、という業種、業界で働いてもらいたいものです。
そしていつしか就活生にどうしてこの会社を選んだんですか?って聞かれた時に、「人で選びました」とかいう答えでは無く、「面白そうだから」の一言で即答できる人たちになって欲しいものです。
おしまい。