「ありがたみ」に気がつくには、人と関わりまくる必要あるってハ・ナ・シ
ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。
人類がこの地球上に誕生してから、子育てという分野で何世代にも渡り大きな課題とされてきた学問、それは「当たり前なことに感謝する気持ちを持たせる学」です。
これは教育学の分野に分類されます。
僕も来月で28歳になりますが、人生のいろいろな場面でこんな言葉を耳にした記憶があります。
- 「当たり前に〜なことに感謝しなさい」
- 「当たり前に思っているのが間違いだよ」
- 「当たり前じゃないんだよ」
- 「簡単なことに見えるけど、かなりありがたいことなんだよ」
- 「お前ちゃんと感謝してる?」
- 「ありがたいと感じれてる?」
などなど
人はすぐに気を抜けば、ことある事象にありがたみを感じなくなってしまうことがよくあります。
ましてや気を緩めなくてもそれに気がつくことが難しいことがよくあります。
冷静になって考えてみても、ありがたいと思えるべき対象にありがたいことだと認識することはなかなかできません。
それができる人はだいたいインスタグラムのストーリーに小さい字で長文を書いているような方々です。彼ら、彼女らは特殊な訓練を受けているのです。
そういう人でなければ、なかなか日常的にありがたさを感じることはできません。
だいたいの人は、人生で大きなイベントがあった時だけ、ありがたみを感じます。
僕も大学受験に合格した時は、外に出れば知らないおばさんや、その飼い犬、昆虫、雪、鳥、雨、雲、コンビニ、などなど目に入るものすべてに感謝を向けたものです。
でもそうそうそんな誰に対しても感謝を感じるほどの大きなイベントは起こりえないのです。
しかし、立派な人間になるためには、やはり感謝の気持ちを忘れずに生きている人がまともになれるという説がみなさまの中にもあるはずです。
そして、自分も含め、人を教育する立場にある人は皆同じくそういう人間に育てたいという節はあるはずです。僕も曲がりなりにも教育者なので、そういう思いが少なからずあります。
そんな時、ふと最近自分がいろいろな、当たり前なことに感謝感じることができることに気がつきました。まるでフレミングが左手を眺めている時に発見した法則のように。
それは、より多くの他人と交流をしていること。
いろんな人とせわしなく関わりを持つことで、これって当たり前じゃないんだな〜普通に今までされてきたことは、実は感謝すべきことなのだ。と気がつくようになった気がします。
この理論の証明はとっくに僕は発見しているのですが、それを説明するには余白が足りなすぎるというフェルマーの言葉を借り、今回は例題をいくつかあげることによって、帰納法的な方法で結論の立論をしていきたいと思います。
Case1:イベントなどの企画時
飲み会やイベントなどの集まりをよく企画すると、来てくれるだけで感謝するようになりました。
そもそも来てくれるありがたさ、時間を割いてくれるありがたさ、楽しいと思ってくれるありがたさ、一緒に盛り上げてくれるありがたさ、行くかどうかの判断に思考力を割いてくれるありがたさ、そもそもその決断についての返事をしてくれるありがたさ。
たまに企画するくらいだったり、企画者としてまだまだ回数を重ねていない時期をすぎると、なかなか希少になってきます。
最初はどんな形で参加してくれたのかは不明ですが、その時はどこか企画してあげているという驕りもあったと思います。それは完全に僕の原因ですが、そう思うと最初の方は感謝を感じて入れていなかったなと思います。
なんどもこういう企画でやりとりを重ねていくと見えてくるものがありました。
人と関わっててよかったです。
Case2:お金を貸す時
お金かしまくっているんですよ。かっこよく先行投資とかいうてますけどね、今のところ合計ざっと120万くらい貸してるのもあります。
まぁこれは別件での負債の件で僕の元からあったポケットマネーから出しているということになっているだけで、厳密には貸している方にはならないのかもしれませんけどそれは置いておきましょう。
お金を貸しまくっていると、貸してくれることのありがたさに気がつきました。
僕はお金に割とルーズなので、全然気にせずお金を貸しますし、貸すことについて普通にそこまで大きな問題ではないいう価値観なので、お金を借りることは親友に対してであれば、大したことじゃないと思っていました。
ただ、お金を借りに来る人がだいたい僕に借りに来ます。返してくれるのでカモられているとかではないんですが、なぜ僕のところにくるのかというと、おそらく貸してくれる人が僕くらいしかいないのだと思います。他にもいてもそもそも少数派なので僕に当たるローテーションが早いのでしょう。
ここで、お金を貸してくれる人は世の中にかなり少ないんだなと思いました。
僕ももし誰かにお金を借りる時になったら多分すごい感謝できると思います。
僕の持っている価値観のままで生きずによかったと思います。
Case3:旧友と連絡を取る時
僕の人との交流が多いのは新規の友達が多いことに加えて、一度関わりを持った人とも継続して連絡を取る確率が高いことがあげられます。
そんな時、環境が変わったら連絡を遮断する人をよく見かけます。
環境が変わった瞬間は、友達がいない中返事をするのが僕くらいなのか、連絡をとっている人も、1年ほど環境に慣れたらもう連絡をしてこなくなったりする人も多いです。
最初は先方から連絡してきたこともあったのですが、その時はすごいありがたいことなんだなという風に感じました。
僕は人によって距離を変えることは滅多にないので、何年たっても誰にでも同じように関わるため、環境によって距離が変わっていく価値観を知りませんでした。
なので昔と変わらない人には感謝すべきです。
環境が変わって関わる人に優先順位をつけるくらいの忙しい人なら100歩譲ってわかりますが、そんな人は日本ではおそらくユニクロの柳生社長とか、孫正義とか、そういう類の人だと思っています。
Case4:行き先を選出してくれる時
だいたい誰かを誘う時は自分からお店や行き先を提案するので、たまに相手から提案された時めちゃめちゃ助かります。
これはいろんな人と遊びに行っているから気がつくことができたことだと思っています。
Case5:相手からコンタクトあった時
僕みたいにうるさい人は、基本的に僕からコンタクトをとって何かが始まることが多い世界観を持っています。
そういう役回りというか、キャラクターというか。
仕事は別ですが、何か誘われたりした時とか、頼られた時にふと、連絡がくること自体にありがたみを感じます。
結局何が言いたいかというと、人間は自分の価値観で物事の価値を図るので、自分が当たり前と思っていることに感謝をするタイミングはなかなかないです。
つまり人は人に気づかされるということですね。
多くの人と交流を持てばいろいろなチャンスが生まれて経験値も増えてありがたみを感じるチャンスも増えるという話です。
人と深く関わっていきましょう。
人は人でしか磨けないというのは、よく言ったものだと思います。
おしまい。