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よく怒る人の心境って?

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毎週の週末にBlogを更新すると言って、一日遅れました。大変申し訳ありませんでした。

僕の事は嫌いになっても、

 

どうせ地球は回ります。

 

 

でもまぁそんなに怒らないでください。

怒っても何のメリットもありませんよ。というのが今日の記事のお題です。

ほんとは、「頭が悪いけど自分では頭がいいと思っている人の発言集」というお題の記事を考えていたんですが、一昨日に僕のBlogを読んでくれている人と飲んでいて、この記事の内容をうっかり話してしまったので、もう少し温存しようと思いました。

 

 

東京に出てきたからなのか、社会人になって環境が変わったのか、僕が被害妄想をするような精神障害をきたしているのかわかりませんが、最近よく、怒っているを見かけます。もしくは遭遇します。

 

昔から日本はよくわからん事で怒っている人いるな~という印象でしたが、最近は特にその傾向が強いです。

 

僕も(一応)人間ですから、怒ることもイラッとすることもないとは言いませんが、基本的には怒りません。怒らないというか干渉しないというか、諦めているというか、まぁ状況に応じて怒らない理由(?)は違うんですが、とりあえず何が言いたいかというと、あんま怒んないという事です。

 

僕はなぜそんなにも人類は怒ったりできるのか、逆にいつも知りたいと思っています。

「こういうことで怒っている人」の心境に対して考察し、そして逆に自分が似たような立場だったときに、「なぜ怒んないのか」というのを自己分析してみようか思います

 

 

1、価値観が合わない時

 

人が怒る時の代表例はこれですよね。

というかほとんどすべての怒りというのはここからきているといっても過言ではないでしょう。中タイトルの1としましたが、1で終わってもいいくらいかもしれません。

 

価値観が違う時に怒っている人の特徴は

「なんで?」とか「おかしいでしょ!」というような、何かを基準にして比べた時に「違っている」という現象に対して怒っているようです。

そういう人は学生時代、テストで不正解といわれた時にも怒っていたんでしょうか?

そんなはずはないでしょう(おそらく)

学生時代のテストで「違います」といわれても怒らないのは正解があるからです。

逆に言えば正解が明確ではない場合に、違っていることに直面した時に怒っているといえるわけです。

それは、人は正解がないとき、もしくは知らない時、「自分の考えが正しい」と思い込んでいるといえるのではないでしょうか。

殺人をした人に怒るのはわかります。人を殺すのは不正解ですからね。法律で決まっています。

 

しかし世の中には決まっていないこともたくさんあるのです。

そういう場合、自分の価値観が正解と思って行動するのが人間なのです。

そして、(その人の世界の)不正解の人対しては、怒るのです。

 

僕は自分の世界ででは自分が正しいとは思っていますが、自分の世界を押し付けるつもりはないので、違っても怒りませんし、嫌いにもなりません。

「そういう世界で生きている人」というだけなんですから、それは別の個体として存在しているだけで、それをそのまま見ているだけですから。

「そういう考えなだけか、まぁそりゃそうか」

って終わります。怒っても相手は変わりませんからね。

 

 

2、説教にグレードアップ

 

1の進化形は、怒るだけに飽き足らず、説教をし始める人です。

プロセスとしては

「あ!!違う!!!」→「これは不正解だ」→「悪だ」→「正さなければ!」

みたいな感じです。

こういう人は大体何か勘違いしています。自分が他人を変えられると思っている点に違和感を感じます。

もちろん自分なりの考えや意見を持つことは大事ですが、それが正解とはどこにも書いてないし、だれも言っていないので優劣をつけるのは難しいのです。

僕みたいに聡明な人は「私との考えとは少し異なりますね。私の意見としては」と言って「意見として」提示するくらいで、正そうなんて大そうなことは恐れ多すぎて言えません。

 

まぁでも、世の中には「一般論」というものがあります。

日本人が大好きな「だってみんなもそう言ってるもん!!!」

ってやつです。正解はないといいましたが、社会で生きていく上ではある程度の暗黙の了解や規範はあることはありますから、

僕は自分の意見も言いながら「まぁ別にどんな意見を持っていようと良い悪いなんてないけど、第三者から見たら嫌われるかもね」という言い方をするようにしています。

 

 

 

3、利害関係の怒り

 

お金が絡んでくると、人は怒ります。利害関係がある時は特に。

大学生時代のアルバイト4年間、ベトナムでの労働においての約8か月と、社会人になって2か月ちょっと、利害が関係している世界での怒りは、まだまだですが、割と見てきたと思います。

 

まぁ、いわゆるクレーマーってやつです。

お客様は神様ですし、神様がどんな風にふるまおうが、良いんですが、

何においてもクレームをする心境が理解できないです。

まずクレームの主な目的は何なんでしょうか。

その会社をよくするために意見を言ってくれているのか

自分がすっきりしたいのか

感情が人間の理性を上回り、電話のダイヤルを強制的に回すような成分が脳内で分泌されているんでしょうか?

 

僕にはよくわかりません。

クレームをもらう企業や会社は、改善すべき点を無料で提供してくれるので、メリットしかないから、クレーマーはこの世に存在する意義はとても大きいところですが、僕の場合だと、大体のミスや手違いで怒ろうとはしません。

怒るのにも労力はいるし、とくにメリットも感じません。詐欺とかなら別ですが、単純にミスしただけなら、ミスに対して執拗に怒ることはしません。

人は人に迷惑をかけてじゃないと生きていけない生き物のはずなのに、顧客になったとたんそういうのは別次元になりますね。

 

ミスしたならしょうがないし、そんなときもあるって思って終わりだし、それが続くようならその商品をもう買わなければいいのです。

「明日も飲み会だわ~忙しい~」とか言いながら、飲み会に全部行くような奴に似ています。しんどいなら行かなければいい話です。

 

僕もまだ社会人になったばかりで、顧客との関係やその背景には何があるかなどはわからないので、これに対する意見は強くは言えませんが、僕はクレーマーにはなれないと思います。

飲食店で働いたことがあると、自分が客の時に店員さんを困らせないようになってしまうのと似ています。

 

 

 

 

 

 

でも、昔はよく、「あんたの気にかけているから怒っているんだよ」って先生や、親から言われていた気がします。

「本当に興味がないなら、無視するから」みたいな。

 

この言葉の真偽はまたいつか考えてみるとして、今現時点で、この言葉が真として話を進めれば(進めなければ記事が終わらない)、僕は何に対しても興味を持てない、寂しい人間なのかもしれません。

キレると叱るは違うという言葉もありますが、キレもしないし、叱りもしない僕は、将来部下を育てることもできないかもしれません。

 

子供が出来た時も、怒ることはできないかもしれません。

「壁に落書き?子供はそんなもんでしょ」

って、思ってしまいそうです。

 

結婚相手は、人生の8割は怒っている人にしましょうかね。

 

 

 

おしまい。

 

ちなみに今週からぼちぼち仕事が繁忙期なので、更新また遅れるかもしれません。すいません。怒らないでくださいね。