実際に体験してみないと【異文化】なんて心底からは理解できない
みなさん異文化理解って何だと思いますか?
例えば日本でよくアジア圏の人たちが日本に来てどこかのレストランで、日本人から見たときにすごく汚い食べ方をしている光景にあったとしますね。
その時に「これだから~人は~」みたいに思ったとします。
すると隣で一緒に見ていた友達(偽善者A)が、「そういう文化だからしょうがないと思う。これが異文化理解っていうやつでしょ。自分らの価値観に合わせて~人はこれだから良くない、好きになれないって判断するのは良くないと思う」と言われたとしますね。
まぁ気持ちはわかります。確かに食事の仕方については、日本人は綺麗な食べ方をするけど、他の国ではそこまで綺麗に食べる文化はないというのは、容易に想像ができます。
でもこれって本当に異文化理解って言えるんでしょうか?
もし、外国人が日本に来て、銀行強盗をするとしますね。それを見たぼくたちは、「あれはきっと彼らの文化では普通のことなんだよ。異文化だから馴染めないかもしれないけど」
っていう話になりますか?(笑)ならないですよね。
例えが極端すぎましたか?
他の例を言えば、たとえばベトナム人は交通ルールを無視するのが当たり前です。反対車線を走るなんてしょっちゅうあるし、信号無視もあたりまえです。彼らは事故らなければいい。自分で責任を負うなら何でもいいという考えなんです。
これはどうですか?さっきの極端な例では法律に触れた犯罪級のものでしたが、信号無視くらいではそんなに重い罪にとわれなさそうですね。もしこんなことで逮捕されるのなら、僕は今までに何回逮捕されたかわかりませんから。
でももし自分が運転しているときに交通ルールを破られたとき、食事のマナーを破っていた彼らを見たときと同じ心境で同じことを言えますかね?多分言えないでしょう(笑)
僕はこういう矛盾するような、その場だけの、うわべだけの異文化理解を謳う人に違和感を覚えていたんですね。
気持ちは痛いほどわかるんですが、いざ自分がそういうことを言うときも、なんか偽善者ぶっているようにしか見えなくて、自分に嘘をついているようにしか思えなかったんですね。
何が異文化で許すべきなのか、何が異文化という高尚なもので語られるものではないのかの線引きがいまいち僕にはわかりませでした。
ただ異文化理解を謳って他の文化に対して寛容になっているだけにしか思えなかったです。
でもなぜ僕らの国でそんなことをしなければならないんですか?気を遣いすぎではないですか?
結局この話は日本で起こっていることなんですから文化が違うとか、価値観が違うとか関係ないんですよ。郷に入っては郷ひろみ。(「郷に入っては郷に従え」という意味ですよ。この注釈は一度しか言いません)
異文化を理解するのは、僕らが外部から来た外国人の文化を理解するのではなく、外部から来た人たちが、その訪問先の国の文化を理解すべきなんですよ。これが異文化理解の一つだと思います。
どうして信号無視は許されず、食事のマナーは許せるんですか?それは異文化理解しているんではなくて、自分の都合のいい時に寛容な人になっているだけです。結局個人の価値観のレベルでしか事を話せていません。それは本当の意味での異文化を理解する、というのを結局できてないんですね。
僕もベトナムに住んでみるまでは、日本に来ている外国人の行動を見て「文化が違うから、しょうがないのか。」みたいな気持ちは確かにありました。
違和感はありましたが。
でも今実際にベトナムに住んでみて、郷ひろみになってみると、それは異文化理解ではないということに気が付きました。
結局、自分で実際にその文化に触れてみて、その文化の中で生活してないと、何が異なった文化でどんな違ったものの見方をしているのか何が文化ではないのかが、はっきり理解できないんですよ。
だから異文化がという概念にすっきりしなかったんですね。
ただ違うからと言ってもそれがすべて異文化になるわけではないんです。実際に体感してみないと、何が異文化なのかという実感がわかないので、見たことも実際に感じたことも無いものをそれは文化が違うからと説得されたところで、全く納得はしないし、心に響きません。
そして異文化理解(仮)の人にありがちなもう一つのミスは、その異文化を受け入れるという意味をはき違えているところですね。
異文化を受け入れるというのは、違っていることを理解するだけで、それを文化の異なった国でその考えを主体に生きていくことを許すという訳ではありません。
それは異文化を理解している意味が全くないじゃないですか。寛容になることなんて、異文化を知らなくても、優しい人なら誰だってできます。
違っていることを理解していることで、できることは、その外国人がしっかりと異国における郷ひろみになれるように手伝ってあげることなんですよ。二国の掛け橋的な存在になるという感じはこんな感じなのかもしれません。
僕は現在ベトナム人に日本語を教えていて、生徒さんの多くは近い将来にオンサイトかなんかで日本へ行って実際に数か月から1年くらい働くという予定がある人たちです。
異文化理解をなんとなく理解してきているつもりである僕は、
そこでここ最近、彼等には日本語だけではなくて、日本人とは異なったベトナム人の習慣であったり、考え方なども教えて、日本で生活するときに無事に郷ひろみになれるようにいろいろ教えています。
ここにも二か月余りですが、自分が体感したベトナム人の習慣について少し紹介したいと思うので、もしみなさんがベトナム人に日本でだったときは、しっかりとそれは異なった文化で、日本ではあまりしてはいけないことなんだよというのを、優しく伝えて理解させてあげてくださいね。
僕のことはガンジーの生まれ変わりと呼んでくれて構わないです。
1、舌打ち
ベトナム人はめっちゃ舌打ちします。特に考えているときとか、困っているときによく舌打ちをする癖があるんですよ。別に彼ら怒っているわけでもイライラしているわけでもありません。
2、ビンボーゆすり
ベトナム人はめっちゃビンボーゆすりします。日本人でもこれはする人はいますが、頻度もスピードもベトナム人の方が激しいです。
3、手で食べる
ベトナム料理の、特にお肉の料理では、骨付きが当たり前です。骨のだしで美味しくなるかららしいですが、多分本当の理由はとるのがめんどくさいから(笑)骨が付いていると箸で食べるのが難しいので、手で食べますね。この手で食べる頻度がそもそも多いので、普通の時でも手で食べる癖が出てしまうことが多くあると思います。
4、クチャラー
ベトナムでは食事の時口を閉じて食べるという風に教育はされないので、くちゃくちゃ音を立てて食べますね。口の中に食べ物があっても普通に話そうとしますし。男女関係なく。
5、ひじを机につく
ベトナムの学校では、問題を回答するときとか質問が合って手を上げるとき、ひじ机につけたままで手を上げるようにしろと指導されるのが普通らしいです。意味は全く分かりませんが、日本人からしたらなんか違和感があるかもしれません。食事のときとか、ひじを机につけるのは行儀が悪いですしね。
6、「アァッ!?」ってなる
ベトナム人は聞き返す時、日本のヤンキーみたいになります。日本のヤンキーの皆様、ベトナム人が「アァ!?」って言ってきても喧嘩をはじめないでください。
これはベトナム語に関係あるんですが、何かを聞き返す時、彼らは文章の最後に「a」というのを付けるんですね。そういう文法です。
日本語でいうと、例えば、ハンバーガーを注文した時、店員さんが「ハンバーガーですね?」と復唱したとしますね。この時の「ね」に相当するのがベトナムでは「ア」だと思ってくれればわかりやすいと思います。
だから聞き返す時によく「アァッ!」てなります。
7、外でごみよく捨てる
日本人でもゴミを平気で捨てるゴミはいますが、ベトナムでは別にゴミを道に捨ててもなんも悪いことはないので、日本以上に当たり前です。というかベトナムでは道を掃除する仕事があるので、その人に任せているという考えなんですね。
8、交通ルール知らない
ベトナムでは免許がなくてもバイクを運転するのが当たり前なくらいですから、信号や横断歩道がないところでいきなりわたり始めるのも普通です。でもベトナムではそういうのがあたり前なので、それが前提でみんな運転していますから、そもそもが徐行運転って感じなんですね。日本ではスピードもめっちゃ速いので、わたるスキがないのですが、もしかしたら渡ろうと試みるベトナム人がいるかもしれません。その人の命を救ってあげてください。
9、外で寝る
ベトナム人よくそこらへんで寝てるときあります。昼間とか。
10、チリソース大好き
彼等はケチャップとチリソースをよく間違えます。間違えるというか、赤いソースはチリソースにしか見えていません。
こんなにも習慣は違うんです。自分もこれらをするようになったわけではありませんが、普通に慣れてきたので、僕もそろそろベトナム人になってきたかもしれません。
日本でベトナム人がこんな感じの行動していたら、文化が違うからしょうがないといって大目に見るのではなく、ちゃんと郷ひろみにさせるように注意してあげてくださいね。