かくほーログ

見た感じ、そのまんま

TGIF!とかいう、英語にかぶれたやつがすぐに使いたがるそうな。

 

 つまりこの僕のことですかね。

ちなTGIFっていうのは、Thanks God it's Fridayっていう文章の略で「よっしゃやっと金曜日や!」って意味です。新しく覚えた文章は使えば使うほど記憶に残って定着しますからね。(言いたいだけ)

 

こっちでは基本的に英語か日本語を媒体に日本語教えているんですけど、ベトナムの最近の学生は英語が話せる人も多くて、その友達と交流する

ときは英語で話しています。英語は一つ一つの単語が長いため、特にメールなどの文章ではこのような略語、をよく使うんですね。

 

まぁそんな戯言はいいんですけど、もうそろそろ日本語の非母語話者に母語話者がその母語母語を教え始めて1か月経ちそうなんですが、やっぱりなかなかうまくいかないです。そもそも(なんちゃって)英語教師を目指して勉強していたので、教育方法に関しては少しばかり学んでいたつもりですが、今回はいろいろと話がちゃいます。

まず対象言語が英語じゃなくて日本語だし、当たり前に日本語の体系化された文法なんて知らないし。なので母語話者としての感覚で理解している程度の日本語で足得ることになる。

また英語を教える日本語を教えるなどとは別次元なのは、学習する対象言語でも、異なった母語話者同士での授業ということ。

英語の教師といってももちろんまずは日本の子供に英語を教えるのをある程度前提に学んできましたけど、今回は方やベトナム語、方や日本語or英語って感じなんですよ。英語も使って説明するときもあるけど、両者どちらも英語は外国語なので、限界があるよね。

 

今回の経験で日本の学校によくいる、ネイティブスピーカーの先生が僕らに英語で英語を教えている教員には脱帽レベルです。Mr.ミ〇ケンには世話をかけたと今なら心からわびれる。

具体的にこの一か月で直面した困難とか、感じたこととかを、これからそういう教師になることを目指している人たちにいくつかでも参考になったらいいなっていう思いやりと真心を込めて紹介していこうかなと思います。ガンジーと呼んでください。

 

1、この世の中コミュ障って何人いますかぁ???wwwww

 自分の話が伝わっていないかもしれないと考え精神安定剤を飲みたくなるほど自分を追い込んだことのある人いますか?話している内容が伝わっていないけどそれに気が付かないことって結構あると思うんですよ。

というか、当たり前だけど、今回のことを考えてみると、日本語がわからないから日本語勉強してるのに、わからない日本語をわからない日本語で説明しても伝わらないよね。当たり前だけど。

 

お前らも経験あるでしょう。ネイティブの先生が一生懸命生徒が英語に楽しく触れることのできる授業にしようとしてなんかゲームとか考えてきてさ、一生懸命説明してんのに、1ミリもわかんないみたいな。しかも何が悲しくて嘘をつくのか、とりあえずわかったふりするみたいな。んでアクティビティ始まっても理解してないからみんなうまく回せず盛り上がらずに冷めるみたいなwwwいや本当にすまんミ〇ケンまじで。

 

でもこれ今自分がその立ち場に立った時わかるけど、そのことにすら指導者側は気が付かないんだよね。

 

学習者側のベトナム人も同じようにわからないことあってもある程度分かったふりするんだよね。それは授業進歩と比較しての習得度合をみたら理解できていなかったんだなと推測したんだけど。

 

だから指導者側は(今更のことだけど)学習者が本当に理解できているか確実に把握する必要はあるよね。その把握の方法も生徒によって個人レベルで考える必要あると思うし。

まず第一は伝わっていないということに気が付くことが優先。

 

学習者側もわからん時はわからんっていうことが学習にとって必要なんだけど、そうも簡単にはいかないすよね。だから指導者は学習者がわからないときはわからないということを言える環境を作る努力する必要があるよね。

それにわからないことはわからないといってしっかり聞き直すことが学習に必要だということを学習者にも理解させる必要があるよね。

 

「まぁいいか」で何でも済ませる人間になるなって俺の高校の時の恩師も言ってた。

 

まぁそもそも論考えたら、これって冷静に考えればコミュニケーションするうえでの前提ですよね(笑)

自分の話を真剣に聞いてくれているからって得意げに自分のうんちく話している人www安心してくださいwww多分伝わってませんよwwww

 

2、あーた、そんな大きさしか口を開けられないんなら、柿ピーくらいしか食べれるもんないよ。

母語以外の言語を学習している人にありがち(そう)な問題は、その言語を話す時にあります。声が小さかったり、もごもご話してはっきり話さないということ。これは想像しやすい問題じゃないすか?少なくとも僕が英語を話す時とか、生徒のベトナム人が日本語を話す時こういうことが起こります。考えられる推測。

1、扁桃腺だ。

2、口が裂けてしまうことを恐れている。

3、入れ歯が落ちる可能性を危惧している。

4、舌がない。

5、言語の機能をつかさどる脳のウェルニッケ中枢もしくはブローカ中枢が
  損傷している。

 

など色々な原因が考えられますが、簡単な理由は多分自信がないとか、恥ずかしいとかいう部分が大きいと思います。そうでしょ?

新しい言語を話す時ってなぜか緊張するよね。発音が間違っていたらどうしようとか、変な言葉で笑われるのではないかとか。

だから声も小さくなるし、はっきりと話さないんですよ、間違えてても濁せるから。

でもそんなんじゃいつまでたっても上達しないでしょう間違いを指摘される機会も減るし一生言葉は伝わらない。理屈とか考えるまでもないす。

なので学習者はこの羞恥心みたいなものを感じさせずに、大きな声で、はっきり口の動きを意識してさせる必要があるね。

 

僕は方法論を体系化するまで考え込んではいないけど、自分が大きな声ではっきりゆっくり話して見本を見せるとか、毎回毎回声の大きさと口の開き具合を耳にタコができるほど、癖になるまで指摘しまくっています。

今はこんな感じの脳筋授業しかできないので誰か心理学的観点からこの羞恥心を感じさせないで自信をもって話をさせる方法論を教えてください。

 

3、Body Languageとかいう英語をも上回る世界共通語

 結局これですよね。言葉が完全に伝わらなくてもほかに表現する方法はいっぱいあります。体を使うとか、絵を描くとか、言語が全く通じないのは難しいけど、少しでも伝わるならその補助には十分なりえますからね。

 

これをうまく使うにも簡単ではないけれども。結局表現力とか、発想力とか、羞恥心を無くせる勇気(?)とかね。

常に伝え方をいろんな方法で考えていれば、(もしくはその環境にいれば)自ずと多角的な思考能力とか、プレゼン力とかが磨かれるので、人に何かを教えるというのは、まぁまあいい経験になると思いますけどね。

 

 

 

 

 

とりあえず今日は金曜だから、今日頑張れば明日休み。

元気があれば旧市街に行って観光でもして来ようかなと思ってます。寝坊しなければ