成功者はいつも無責任である。
お疲れ様です。
金曜日投稿になりましたが、今週は8月3日から12日まではBlogを更新できる環境にはいませんので、早めに更新しておこうと思います。
実際は新しいPCが快適すぎて、週末の投稿まで待てないと言うわけでは決してありませんので、勘違いしないでください。
あと、事前に言っておこうと思いますが、次回の更新は12日か、17日あたりになると思います。お許しください。
最近はうちの部署の繁忙期も終え、少しずつ帰りの時間が定時に近づいてきました。(定時で帰っているとは言っていない)
若いうちに残業しておいて稼げるのは嬉しい限りですけどね。
働いている環境も最高です。先輩、上司、上長、同期(はいない)はほんとみんな仕事ができるし、常に至極真っ当なことを指示してくれるし、私は26歳にして「これが先輩という存在なのか」と思えるほどです。今まで先輩運はない方でした。もちろんゼロではありませんが。
余談ですが、仕事ができる人が周りにいると、有給や振替休日が簡単に取れるんだなというのが強い印象です。誰かが休んでもみんながカバーしてくれますからね。
さて、私が上司や先輩を尊敬できると思うのは、言ってることが具体的で、的を射ていて、納得できるからです。
それを鑑みた時、そういえば世の中には「口だけな人多いよな〜」とふと思いました。
しかも特に成功者に限って訳のわからんことを言っていると、振り返って思いました。
頭の悪い人たちの間では、それは「名言」「格言」などと呼ばれています。私に言わせれば「迷言」ですけどね。
最近は論理的思考能力開発の研修で、帰納法を学びましたので、今回はとりあえず思いつ事例をいくつか挙げていき、私の見解を書いていきます。
読者の皆さんはどどのように思いますでしょうか?私の意見も踏まえて考えてみてください。
1、努力は必ず報われる。
この記事のトップ画像にもあげさせていただいております、この言葉。うんざりですよね。
この言葉にどれほどの高校球児は殺されてきましたでしょうか。
はっきり言って、努力は報われません。
結果がたまたま出た人が、自分のそれまでの行動を振り返って、その結果を得られた原因を、ある行動と結びつけ、勝手にそれを「自分がした努力」として捉えているだけです。
そもそも何をもって「努力」というかわかりますか?
全ては結果なのです。結果が努力を語るんですよ。
たとえ1日20時間練習をしても、1日20時間鼻くそをほじってる奴が試合で結果を出せば、そいつの結果の方が評価されるに決まっています。
当たり前ですよね。結果が出たからこそ、今までやってきたことが「努力だ」と言える訳です。努力をしたからと言って結果がでるという論理ではないでのす。
別に本人、自分自身がそう思うのはいいです。結果が出たことを自分の「努力」のおかげであると考えて、自己効力感や自尊心を高め、自信にしていくのは勝手にしてくれという所ですが、それを一般化して他人に言うのは酷なことです。
運良くではなく、本当に自力で結果を出したような人は、努力は報われるよなんて無責任なことは言わないはずです。
2、やらない後悔より、やって後悔した方がいい
胡散臭い自己啓発本には絶対書いてある迷言ですね。
これは酷すぎ。こんなこと言う人は、殺人を犯した人に「やらないで後悔しなかったのならそれでいい」とでも言えるんでしょうか。
もしこんな上司がいたら、新入社員は何も知らず、「やってみよう」となり、会社に大きな損害を与える可能性がぐんと上がります。
結局こう言う無責任なことを言う人は、自分の経験で、やるかやらないかの選択を背またれた時に、とりあえずやってみたらうまく行っただけの運のいいやつなだけです。
もしくは、自分が選んだ道が間違っていると認めたくないから、「やらないで後悔するよりは良かった」と自分に言い聞かせたいだけです。
それをあたかも自分の武勇伝のように語り、変に若者を駆り立てないで欲しい所です。
そう言うのを真に受ける方も悪いですけどね。
3、やればできる。
いやいや、やってみたらたまたま上手く行っただけじゃねぇか。
誰もがやれば全て上手くいくんなら、この世には売れ行きに伸び悩む不人気な商品なんて存在しないんですよ。
ほんと「やればできるよ」とか聞こえはいいだけで、無責任の塊でしかありません。
4、お金で〜は買えない。
前の記事でも似たようなことを書きましたが、何度でも言ってやります。
世の中、金が全てです。
なんかお金で買えないと言っておけばいいと思ってる所ありますよね。
買えるとまでは言いませんけど、買えないは言い過ぎな気がします。
まず、日本一、いや世界一の億万長者になってから言ってもらわないと説得力はありません。
そう言う人が言うなら、現状それ以上のお金持ちはいませんから、少しは真実に近づくかもしれませんね。
でも大体の人はそういうわけではありませんから、おそらく言っていることは「疑」でしょう。
大体「お金では買えない」と自分で思っていると、自分でそれを所有していることに納得し、安心するからでしょう。そうじゃない場合もあると思いますけど、そう言うなら
「あくまでも私は」お金では買えないと思っている
と自分の意見であるというところを強調していただきたい。
5、(仕事が)辛いならやめればいい
よく仕事のせいで病気になったり、苦しんでいる人に向けてこんな言葉がかけられますね。テレビでもこう言うことを言う人も多くなった気がしています。
自分の思い通りになっている(と思っている)人生を歩んでいる人や、基本的に前だけを見て生きていけるような人が言いがちです。
そんな至極当たり前なことが簡単にはできないと、何人の人がうつ病になって自殺すれば理解できるんでしょうか、この人たちは。
簡単に辞めることができたら辞めているんです。やめられない状況や環境があるから辞められないのであって、「辞めちゃえば良いのに」とか「逃げても良いんやで」みたいなことをアドバイスとして言う人がいますが、想像力が足りなさすぎます。
色んな理由があって辞めたいと思っているけど辞められていない人が、理由や心境を説明すると、その反論としてよくわからない論理を語ってきますね、そう言う人は。
でもあくまでもそれは語っている人の論理であって、みんながみんな同じく動けるわけないのです。
例えば、
「今辞めたら家族を養えなくなる。」→「別に転職すれば良いじゃん。そうじゃなくても稼ぐ方法は今の世の中にはたくさんある」
と言うのは、語ってるあんたがそれくらいの能力があるだけの話で、アドバイスどころかこれはもう今流行りの「マウント」以外の何でもありません。
「俺はできるけどね」止まりですよ、受け取る側の感じ方としては。
いくつか挙げましたが、私もこう言う言葉が絶対的に悪いとは言いません。
もちろん状況に応じて、これらの言葉をかけるとその瞬間だけある人の自信を上げたりしたり、何かに迷っている時に背中をおしてあげられるかもしれません。
でも少なくとも、一般にありふれた定型文になれるほどの言葉ではないと思います。
こう言うことを言う側は、しっかりとこれらの言葉を使っている意味を相手側に伝わるような言い方をしなければならないし、責任もしっかりもって言わなければなりません。
こういう言葉を耳にする側も、しっかりと聞くべき言葉なのか、それともただの雑音なのかを聞き分けなければいけません。ただこの言葉をそのまま受け止めてしまうと痛い目にあうかもしれません。
誰かに何を諭す側は、「真実」を伝えるべきであり、
受け取る側は、「真実」を見極めなければいけません。
無責任な人は、自分が見てきた「現実」を他人に押し付けているにすぎません。
現実とは、目の前で起こっている事実の捉え方です。事実は誰にでも平等に起こっていることですが、捉え方によって現実は人によって変わってきますからね。
なので「起こった事象に対してその人がどのような現実として捉えたのか」というのをプロセスがその人の真実ですからね。
それがごっちゃになっては混乱を招くばかりです。
そう言う真実が世の中には起こっているんだよ、と伝えていくことが先人のするべきことだと思いますけどね。
マウント取るマンばっかりに皆さんはなってはいけませんで。
今日はこの辺で。
おしまい。