そろそろ【英語】の勉強の方法に関してもう一度考え直すべきじゃね?って神からのお告げが
やっぱり「英語で会話する」ということに関しては今まで無縁の領域だったんだなとひしひしと感じ始めている毎日です。
なんかこう、ListeningやSpeakingの練習をただするだけでは、本当の意味での「会話」は出来ないなと感じました。
なかなか練習したことをそのまま会話で実践するのは難しいです。
この感じ、日本語でも上手く説明することが出来ません。もしかしたら僕はゼロリンガルかもしれません。
ところで、今回ベトナムに来て英語を話す機会がとても増えてきたんですが、かなりコミュニケーションを取るのに苦戦しています。
他の人は普通に会話できているのに。
なぜ会話ができないのか、なぜほかの人は会話ができるのか、なにが足りないのか、何が原因なのか、色々考えたんですが。
●英語を話している時だけ何らかの理由で僕の声が出ていない。
●英語を話しているように見えて実はみんなフランス語か何かの別の言語を話している
●僕には内緒でみんな秘密道具「ほんやくこんにゃく」を食べている。
●みんなの母語は実は英語だった。
●僕は実は犬だった。
などが考えられるんですが、どれが正解なのか全く見当もつかないので、どうやったら話せるようになったのか会話できている人たちに聞いてみることにした。
自分で自分に話しかける
キチガイ臭がプンプンするタイトルですね。これはベトナムの現地の学生で英語が話せる人に教わった方法論です。
ベトナムでは日本の教育方針と似ていて、文法や読み書きに重点を置かれていて、実践的に話せる人が少ないのが現状とその人は言ってました。その人の価値観なので厳密にはどれくらいのレベルで似通っているのかはわかりませんが。
その人が話せるようになるために自分で練習として行っていた方法は、英語を使って1人で会話するという方法でした。
一人言を言ってみたり、一人二役で会話をしまくるというもの。
確かにこの方法で会話する練習を始めるのは良いかもしれませんが、そう簡単に実行できるものでもない気がします。パッと思いつくこの方法の難点としては
●一人言のように話すことになるため、最終的に無口になってしまう可能性大。
●1人でいるときにしかできない。
●自分に話しかけるという行動自体がそもそもの自分の癖になってしまえば友達をなくす可能性がある。
●自分の中の人格が増えて、どれが本当の自分かわからなくなる。
●そもそも間違えている英語で話し始めていたら、生涯話せる相手は自分だけになる。
この難点はどれを見ても普通の人間には戻れないようなものばかりですね。他の言語を話せるようになるための代償というのは高くつくんですねわかります。
その言語を話している人達の根本的な考え方や価値観を理解する
これはエジプトから来ていて現在英語も話すことができ、日本語も勉強している人が言っていました。
言語を話す上で必要なのはその言語を話す人の考え方を理解する必要があるらしいです。
あまり論理的な説明をされたわけではないので憶測でしか話せませんが、その言語を話している人たちの価値観を理解することが言語を話せるようになる方法のひとつということでしょうか。
イメージとしては、その人たちの考え方や気持ちを理解するまたはそれに溶け込むことでそれを具現化するときの言語を形作るというイメージですかね?
少し話は逸れるかもしれませんが、この話を聞いてそういえばこんな記事を最近読んだなぁってのを思い出しました。
話す言語によって人の人格形成や考え方に少なからず影響って与えるんですかね?
でも確かフランス語の授業を受けているときにその先生が母語以外の言語を話しているときの自分って自分じゃないような気がするって言っていましたわ。
でも、現時点で僕が英語(少なくとも自分は英語という言語を話しているつもり、通じてないけど)を話しているときは別にいつもとは違う人格で話しているという感覚はないんですよね。
もしそれが英語を話せない理由だとしたら僕が英語を話すようになるためには、僕は多重人格になる必要があるのかもしれません。確かにそう考えると先ほどのもう一つの方のアドバイスで、自分自身に英語で話かけて会話するという方法は理にかなっているのかもしれません。
英語で自分と会話する際に、もう一人の僕を形成し、そいつと会話して練習し、英語を話しているときはそのもう一人の僕が僕を演じるという。
なるほどだんだんわかってきたぞ。
つまりもちろん話初めとか単語がわからなければ話にならないので、単語やフレーズのInputはこれからも続けるとして、、
恐らく僕がまず第一にやるべきことは、千年パズルを完成させるという結論に至りました。
そんな一年や二年で千年パズルは完成することは出来ませんからね。英語を話せる人たちはやっぱりみんなすごい努力をしているんだなと思いました。(小並感)