「あの店は滅多に美味しい」とかいうヒエログリフ並みの文章
僕はLuvinaというベトナムを拠点とするSoftwareの会社にインターンシップをしてます。
ここの会社の顧客は日本の企業が中心で、日本語の需要が高いため、日本語を教えに来ているというわけ。
ここには僕以外にも日本人の社員がいて、一人は日本語教師としての正社員の方、もう一人はこの会社にいるベトナム人が書いた日本語の資料に目を通して日本語に修正うぃ入れるという仕事をしている方(まだ会ったことないんだけど)で僕を入れて合計三人日本人がいます。
普段は僕は一コマ1時間の授業を1日2,3コマ行ってあとは生徒の学習進度のレポートとか次の授業の準備とか、(新しい知識を得るために)ネットサーフィンとかネットサーフィンとかネットサーフィンとかしてます。
今日も自分の知見と価値観の拡大のために全身全霊をかけてネットサーフィンしてましたところ、ハノイ市名誉日本語教諭であるこの会社の日本語講師が僕にある質問をしてきました。
「例えばさ~、全然おいしくないラーメン屋があって、そこはいつ行ってもおいしくないわけ。でも一か月に一度くらいの頻度でほんとたまにおいしいときがあるとする。この時、『あの店は滅多に美味しくない』って日本語言わないよね?なんか違和感あるよね、なんでだろう」
って言ってきたんすよ。
「滅多に美味しくない」確かに気持ち悪い日本語だ、気持ち悪すぎて考えをめぐらすだけで頭の中でぐるぐるこの意味の分からないフレーズで夜泣きしそうです。
この先生の認識では
「たまに」と「滅多に」というのはイコールであると解釈していてそのようにベトナム人にも説明していたらしい。
言語ってのは使わないフレーズは使わないからこそ気が付かないしこうやって教える立場になったり母語話者じゃない学習者の間違いに出会ってみないとコロケーションみたがおかしい理由とかには気が付かない。
なんで「滅多に美味しくない」とは言わないんだろう。
つまり意味としては、「たまに美味しい」ということ。
これが「滅多に美味しくない」になると途端に吐き気がする。
まず「滅多に」という言葉は英語の「reraly」という副詞と比べて考えたとき、「reraly」は「滅多に~ない」という否定の副詞として扱われるので「滅多に~する」という肯定文には使えないという点では間違ってはいない。
「滅多に美味しくない」とは否定文であるという点を考えると「滅多にまずい」という文ではない点ではおかしくはないはず。
なら「滅多に」を使って限りなく通じそうな日本語にしたらどんな文章になるだろうか。
「あの店は滅多に美味しい『ことは』ない」
これは?この文章ならかろうじて使いそうじゃないすかね?(ここでこれがある程度自然な文章に感じる俺の日本語力が崩壊していたとしたらこれ以降の記述は意味がなさすぎてWebのサーバーに申し訳ない(笑))
この「こと」が入ったらなんで幾分通じる文章に(感じる)のだろう。
しかもこの「滅多にまずいことはない」の文章も死ぬほどおかしいとも感じない。「滅多に美味しい」よりはマシ。
つまりさっきの否定がどうのこうのってところの「まずい」のことに関しては意味のない文章だったね、ここまで書いて今気が付いた。「まずい」は「美味しくない」と同義だから否定の言葉と一緒だったね(笑)
否定の言葉が必要というのは揺るぎないものでいいとは思うけど。
「滅多に遊ぶ」って文章もおかしいし、「滅多に遊ぶことはある」も「こと」を入れたけどおかしいもんね。
次は何から考えればいいんだ順序がわからない(笑)
おかしいということはわかっているのにその理屈がわからないという、自然習得の悲しいさだめ(笑)
とりあえず否定の文章である前提として、「こと」が入ればおかしくないというのがとりあえずわかっていること。
ならことが入っていなくてもおかしくないという文章は。。。
「滅多にご飯を食べない」「滅多に泣かない」「滅多に遊びに行かない」
みたいな。~ないがかかっている品詞が動詞ならおかしくはないのかな?形容詞ならおかしい?
「滅多に涼しくない」「滅多に寒くない」「滅多に臭くない」
これら全部違和感ある(のは俺だけ?)
でも、ただの「涼しくない」「寒くない」「臭くない」とは言うよね。
なぜ「滅多に」が入るとおかしくなるのだろうか。
でももう一つ、「~ことは」を入れてわかったことは、形容詞の否定文でも「滅多に」を使ってもおかしく感じないことと、「滅多に」の位置を入れ替えることもできるということ。
「滅多に涼しくない」では「涼しく滅多にない」はおかしい
「滅多に涼しいことはない」だと「涼しいことは滅多にない」とは言える。
あと多分まだ変な感じはするかもしれないけど「涼しくは滅多にない」ともいえる気がする。
結局は滅多にというのは形容詞を修飾は出来ないということに落ち着きそう。
副詞は英語では名詞以外すべてを修飾できるんだけど、日本語も同じように当てはめるのは浅はかだが幾分参考にはできると思う。そう考えたときでもなんで名詞ではない形容詞を修飾できないのかというと、「~ない」というのが必ずセットになっていて、修飾先が制限されているように見える(だけかもしれない)。もしくは「滅多に」は特殊な副詞で動詞しか修飾できないとかそんな感じ
「~ことは」とか「~は」とすることで英語でいう「be動詞」的なものが見えてきて、形容詞が名詞的な品詞になって「滅多に」の修飾先がappearして文章が成立すると。(笑)
あとはほかの動詞があっても可能
「滅多に遊ばない」「滅多に泣かない」「滅多にカメハメハを打たない」みたいに。
正直何も参考せずにできる思考のみでの考察だとこんなレベルの結論しか出ない(笑)
これを教えるときは結局なんてまとめたら説明しやすいんだろう。ネットサーフィンしてしっくりくる答えを探すかwww