自分の意見を正確に伝えるためには。
残りわずかで平成は終わりですね。
ここで問題なのは、平成が終わることによって、平成ノブシコブシや、Hey!Say!Jumpの名前はどうなってしまうのでしょうか。
さて今日は平成最後の月曜日ですが、とくに何もないのでブログでも書いていこうかな~と思います。
結構前から思っていたんですが、自分が思っていること、想い、意見を伝えるのは本当に難しいな~と。
簡単に出来ていたら、学生時代の恋愛は無敗で、8人と同時にお付き合いをし、就職活動時期も受けた会社から全ての内定をもらうことができたでしょう。しかしそう簡単にいかないのが人生です。
そして特に社会人になって、仕事をこなして行く上で、それは一人で行うのではなくチームで行うので、自分の意見や考えを正確に伝えなければいけないし、逆に相手の言いたいことを完全に理解しなければいけません。
そこでこの問題に向き合って数十年、一つの仮説にたどり着きました。
話している時に発する言葉に問題があるのでは。と。
話している時の言葉
とはどういうことかというと、
どうやった良いたいことを伝わるかな~とか
どうやったら言ってる事が理解出来るかな~とか考えた結果、実際に話している時の言葉が曖昧だったり、意味の分からないこと、(もしくはない)ことを言っているのではないかという仮説を立てるに至りました。
いや、冷静に、単純に、シンプルに考えて、コミュニケーションを取っているはずなのに、話が通じていないという事は「言葉」に問題があるとしか思えないのです。
注意:この仮説は以下の条件の下に成り立っているとする
1:会話する者はそれぞれ、同じ言語を使用している
2:会話する者同士はそれぞれ生物学上同じ種類の動物である
3:会話する者同士または一方がイヤホンで音楽を大音量で聞いていない
4:会話する者同士、滑舌が良い
5:酔っぱらっていない
6:寝不足ではない
7:7歳以上60歳未満である
8:通話などの場合、電波に障害がない
9:お互い異性として意識していない
10:堀江貴文ではない
というわけで、自分を含め相手が、コミュニケーションをとっている際にどんな言葉を発しているのかを調べてみました。その上で、この言葉がコミュニケーションの壁を厚くしている可能性があると思われるものを挙げていきたいと思います。
「~みたいな」
今や語尾に「みたいな」という言葉を付けない若者は絶滅したといえるでしょう。
文一つ一つの最後に「みたいな」とついていると、明らかに鼓膜に振動を与える音の振動は他の言葉が生み出す振動よりも「みたいな」が多くなるのは明らか。
しかもこの言葉、結構聞いてる側からすれば「イライラ」するんですよ。
僕もこの調査をして意識して聞くようになってしまったら、この言葉しか耳に入ってこなくなりましたし、この「みたいな」というのがハイライトされてしまってからというもの、イライラして相手が何を話しているのかなんて、内容が入ってきません。
これは会話が成り立たないわけです。
「普通に」
この言葉もめちゃくちゃ使われます。
A「え~このお菓子めっちゃ美味しい!どこで買ったの?」
B「え、普通にコンビニで買ったよ」
この普通にって何なんでしょうか。普通じゃなく買う場合はどんな状況なのでしょうか?
至極当たり前の思考回路を持っている僕はこの言葉を聞いた瞬間に、「普通に」という状況に疑問を感じて他の言葉や内容が入ってきません。これは会話を阻害している要因の一つといえるでしょう。
これも会話中に耳を澄まして聞いて見れば、よく聞く単語です。
何か意見を提案する時に「普通に~のはどう?」
何かの手順や方法を説明するときに「普通に~して、そのれから~」
実現可能性を説明するときに「普通に~出来るよ~」
って、よく出て来るんですよ。
「普通に」って意味は無くはないんでしょうけど、使っている本人は特に意図して言っていない場合が多い気がします。
しかもこれらの例でよく使われる「普通に」というのは、その人の感覚や価値観から来る「何かの程度」の話なので、曖昧オブ・ザ・曖昧です。(「あいまい」は母音から始まる単語なので、「ザ」ではなくて「ジ」でしたね。すいません)
これほど曖昧な言葉で説明されたところで伝わらないのは明らか。会話をしている両者の感覚が一致するしか理解し合うことはあり得ません。
また、(僕みたいに)ちょっと賢い人であればこの「普通に」という意味を理解できないのでそこでつまずいてしまい、話の全体像がつかめず、精神的苦痛を味わい、覚せい剤に手を出し、人生を台無しにしかねません。
本当に危険な言葉です。
「なんか~」
これは本当に凶悪。どんな時でも使っています。
話始めの「なんか~」
反対意見を言う時の「でもなんか~」
共感する時の「確かになんか~」
先生に怒られた時に弁解する時の「なんか~」
言葉が出てこない時の「なんか~」
もう全てに使ってきますからね。これは今や若者だけではなく、30代でも40代でも使います。もはやこれは病気かもしれない。
この「なんか」というのは、「みたいな」と違って、文章にいくらでも挿入できるんですよね。
この前、グループでスカッションをやった時、5時間の中で、話者(3人)の発する言葉を数えたところ、合計で286回も「なんか」を言っていました。
これじゃぁどんなに熱意を持って話しても、上手な言葉を使っても、伝わらないわけですよ。
一番聞いてる単語は「なんか」ですし、しかもタチの悪いことにこの「なんか」という言葉には意味はほぼないのです。少なくとも僕は意味を理解できません。
そしてこの調査を機会に僕は人が話している時に、「なんか」というたびに反応してしまうので、相手の話なんか絶対に入ってきません。
相手の話が聞き取れない体になってしまいまいた。
この調査をして唯一よかったと思えるのは、これらの無意味な言葉を自分で使った時に気が付ける点です。
そもそも簡単には気が付くことはできません。病気というのは自覚症状がないものが多いですから。それにもし気が付いているもしくは意識してこれらの意味をなさない言葉を発する人がいるとは思えないし、286回も言うはずがないと思いませんか。
これは本当に人に言われないと気が付かないし、人に言われてもその時気が付くだけで、1日もしたらまた忘れて使ってしまうと思います。
なので本当にこれから意識して減らしていくことが大事だと思います。
テレビで話している偉い人、大勢の前でスピーチする人、話の旨い人の話している言葉を聞いても「なんか」「みたいな」なんて使っている人はいないはずです。
しかし高校生ではなく、大学生、社会人といい大人がこれらの言葉を使っているは事実なのです。
皆さんも自分で話している言葉をしっかり確認しながら話してみることを試みてみるのはいかがですかね。
だってなんかやっぱり、なんか大人になっていい歳してまでこれらの言葉使ってたら普通に考えて語彙力ないみたいな感じになるじゃないですか、ねぇ?
おしまい。
みなさん良いGWを