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人生「お金が全て」って言ったら友達いなくなる?

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そういえば昨日で26歳になりました。お祝いの言葉をくれた方々、ありがとうございました。

悲しくもアラサーです。

 

 

 

今日はお金についてのお話をして行こうかなーと思います。

大学生活での4年間(実質5年間)、一人暮らしを始めて、親にお金を借りて学費を払ってもらい(これから返していく)、それ以上に必要なお金は自分で稼いでいくという環境に触れ、今年からは社会人になり、親から自立して、生きるために毎日働くという生活が始まりました、今日この頃。

 

やっぱり振り返ってみると、ほんとにお金って大事(小並感)だなというのを改めて考えるようになりました。

 

ここではあえてお金が「全て」という言葉を使わせていただきます。

(友達が減るかもしれません。少なくとも増えはしないでしょう。)

 

なぜなら「お金が全てじゃないのよ」とかざれご、、、じゃなかった、詭弁をおっしゃる人がこの世にはたくさんいる世の中だなと思ったので、それの反語を言う形であえて「全て」という形を取りたいと思います。

 

というか、全て」という言葉を聞いたときに、何をもって「全て」と言っているのかに関してのイメージは異なるので、一概にみんなが「お金を全て」を同じくとらえているわけではないでしょう。

 

僕の思うこの「全て」というのは「全ての土台」という意味です。

つまりお金は「全ての土台」と考えてほしいのです。

これならイメージはつくんじゃないですかね?

どんな事も(ほぼ)すべてはお金から始まっているんですよ。

 

こうやって考えていると、お金はすべてじゃない。大事なのはお金じゃない。って感じのフレーズを聞いても、

「お金が無くても幸せになれるんだ。やっぱりお金が全てじゃないよね」とかいう惑わしに振り回されなくなると思います。

お金が全てじゃないという所謂「暗示」的なものは割と危険だと(僕は)思っています。

 

例えばね

 

 

 

お金で愛は買えないとか言う類

 

そりゃお金を積めば、恋人が出来るわけでもないし、気になるあの子を、憎きあいつから奪う事もできません。

 

でもお金がないと、愛が生まれないのも事実だと思います。

今恋人がいる人、どこで知り合ったんですか?

高校?大学?会社?何かのイベント?合コン?

 

これらすべては、お金がないと行けません。

学校、大学へ行くために誰がお金を払っているんですか?お金を払っていかなければ、その人とは会う事はなかったでしょう。

イベントや合コンなどのキッカケにも同じことが言えます。

勿論お金があって出会えるキッカケがあったと言って、確実に彼女になれるわけでもありません。それ以降にも努力だったり、運だったりと、様々な要素が必要でしょう。

 

でも根源はお金ですからね。お金があったからこそ、その次のステップに行けるわけですよ。その前提の上で動いている世界で、あたかも「金では買えない愛が大事なんだ」みたいなことを言いだすのは、違うんじゃないかな~と思いますね。

 

同じく友情も同じだと思っています。

話が少しづれるかもしれないので片耳(いやこれは文章だから片目か)で聞いてくれれば(いや、見れば、か)いいんですが、友情もお金が根源にあると思います。

 

僕も色々な人に支えられてきましたし、いろんな人に信頼してもらって生きてきました。特に大学時代。

でもあえてお金なしではそれほどの友情を育めなかったと思います。

これは捉えようによっては相手を侮辱する形になるかもしれませんので、本当にそう言うつもりはないのは理解していただきたいですが、

お金をかけて大学、サークルに所属できたし、お金があるから一緒に飯に行ったり、麻雀したり、旅行したりできたし、そのようにして同じ時間を過ごす期間があったために、僕の事を知ってくれた、僕の人間性をアピールする場が出来たわけであって、

決してただ歩いているだけで僕の人望が得られるイベントが起こることはめったにないのです。

 

 

もちろん無いわけではありません。道端で困っている人がいたら助けてあげるとか、授業を休んでいた人にノートを見せてあげるとか、お金がかからずして人間性を知ってもらうチャンスはありますが、そんな見せ場は毎日毎日あるとは思えません。

 

逆に僕としても、ただ酸素を消費して二酸化炭素出すだけで人が寄ってくるほど尊い存在であるなんて、とてもじゃありませんが、そんなこと言えません。

あえてここに宣言するとしたら、僕はお金なしで今の環境、愛情、友情が得られた、なんて図々しいことは言えないのです。

 

 

愛は友情はお金では買えないなんて言える人は相当な自信家なのか、自己効力感が高いのかもしれません。

 

 

僕はわりと自己効力感、自己肯定感は強い方だし、「なんとかなる」とか「なるようになる」という楽観主義者ですが、お金に対してストイックなのはこういう理由からです。

 

 

お金からスタートしてない人はいないとは言いませんが、それは「ゼロ」と証明するのが難しいから譲歩しているだけで、今の時代は中々いないと思ってます。

いたところで別にそれを目指すわけでもなく、それが美とも思わないでしょう。そういうお金の世界で成り立っている世界に生まれたんですからね。

 

 

だからと言ってお金があればいいのか

 

お金があれば幸せになれる

といいたいわけではないです。逆にそう思ってしまうのもの問題なのです。

おわかりでしょうがお金はすべての土台なだけで、お金があった初めてスタートラインに立てるというだけの話。お金があるからやっと試合に参加できるのです。

 

お金があれば幸せという極端な考え方をしてしまうと、お金を資金にして手に入れた出会いのチャンスをつぶしかねないだろうし、家族もできないだろうし、お金を集める事が目的になりかねないですからね。

 

なので両方の感覚のバランスは必要です。

 

 

でもお金からすべて始まっているんだし、大抵のことはお金で解決できるというのは事実だと僕は思っています。そしてそれを理解する必要もあるわけです。

 

 

 

 

 

今回の記事はかなりぐだっていますが、何が言いたかったかというと、「お金が全てじゃない」という言葉はよく聞く言葉ですけど、そんなに簡単に言えるような言葉じゃないと思いますよね。

思ったより重い言葉です。かっこよく言いこなすのは至難の業でしょう。

 

 

大学に入って、お金を自分で少ないながらも稼ぎ始めてから思うようになった。

 

ってハナシ。

 

 

 

 

 

そういえば、社会人になって、「こんなひねくれたやつ今まで会ったことない」

というのを、昨日で4回になりました。今日も天気がいいです。

 

 

おしまい。

ではまた。