日本における自己主張の強い彼らはいつだって【入れ墨】に対する偏見に異議を申し立てる。
週6でバイトをしている社畜です、こんにちは。
最近はバイトバイトの日常で、日々の生活に変化が無く、新しい刺激も一向に無いので、Blogのネタに困っているところです。
ネタ収集のために、来月上旬に行われるプロ麻雀認定試験でも受けようかなと思っているところです。
そんな毎日がつまらない日常が続いているのですが、毎日YouTubeを見るという日課も変わらず続いています。
そんな中でYouTubeでも話題に取り上げられていたんですが、最近は芸人のりゅうちぇるが入れ墨を入れていることに対してひと悶着あったみたいですね。
あ、芸人じゃなかったっけ?さーせーーん。(棒読み
僕も詳しくはわかりませんが、彼が(彼女が?)インスタで自分の入れ墨を投稿したところ、その投稿に対して一般人が反対だか、批判だかしたようで。
その一般人の反応に対してまたりゅうちぇるも反発して「日本の入れ墨に対する偏見を
なくしていきたい」って立派なことを言っていたようです。
入れ墨に対する偏見というのは例えば、ヤクザとか、暴力団とか、危ない人たちがするというイメージから、入れ墨をしている人に対する印象はあまりよくないという話ですね。
そういう話の関係で、入れ墨をしている人は公共の施設を使えないというのがありますね。市民プールとか、温泉とか。
あ、勘違いしている人がいるかもしれませんので一応説明しておきますが、入れ墨をしている人がプールや温泉に入ることを禁止しているのは、入れ墨の墨が温泉やプールの中で溶けて、水が汚くなるからではありませんからね?
墨が溶けて薄くなるとか、それは塗っているだけで、入れてません。入れない墨です。
まぁそういう話なんですが、このように何かの権利を制限されると、必ず反発してくる輩がいるのが、日本です。まぁそもそもすぐに制限したがるのも日本人なんですけどね。
例えば、ほらいるでしょ?いるいる絶対いる。入れ墨の何が悪いんだ?って。入れ墨はアメリカではファッションの一部にもなっているし、今の時代は入れ墨をしているからって、ヤクザとか、暴力団との関係があるとか、そんな時代ではないし、それは偏見だ、差別だ、表現の自由の侵害だ、人権侵害だ、なんだかんだ。ってね。
だからプールに入れさせろ、温泉に入ってもいいだろ、とかなんとか主張するんでしょ。
そういう残念な人達に言いたい。
「でもねぇ、悲しいことにね、それはそういう決まりなんですよ。」
ルールなんですよ。そんなにプール入りたいなら自分でプールを建てて入れ墨がある人でも入れるところを運営すればいいし、温泉入りたいなら自分でつるはしでも持って、温泉掘り出してください。
いやわかるわかる、君らの言い分もわかる。譲歩してやる。
論理ではなんぼでも君たちの意見は立証されるでしょう。別に入れ墨は法律で禁止されてない。勝手に偏見で判断されるのもおかしな話かもしれない。別に実際に犯罪を犯しているわけでもない。入れ墨に悪いイメージを持つのは持つ側の勝手であって、入れている側には何も関係ない。云々カンヌン。
だがしかし、決まりは決まり、規則は規則、ルールはルール。これがゆるぎない事実。
入れ墨をしている人は偏見を持たれている。間違った見方をされている。とか言う以前の問題なんですよ。
例えば星付きのレストランでは、大体は0~1歳児同伴の来客は断る店が多いのですが、それに対して「0歳児に対する偏見がひどい!!!」という人はおそらくいないでしょう。(50年に1度くらいの逸材としているかもしれませんが、それをキチガイといいます)
それと一緒です。
そういうルールを採用している場所や地域が日本は多いだけの話です。日本はね。
普通に日本では昔から、今もあまり受け入れられないような入れ墨をある程度分かってて、その上で入れ墨を勝手に自分で入れておいて、それを受け入れろっていうのも、わりと意味が分からない論理です。
話はりゅうちぇるの話に戻って、りゅうちぇるも入れ墨をしていることに対しての偏見を変えていきたいとか言っていました。
まぁ確かに一般人がりゅうちぇるのインスタの入れ墨の投稿に対して批判を述べるのはおかしいかもしれません。りゅうちぇるの好き勝手にすればいいと思うので。
りゅうちぇるも「それは僕の勝手でしょう」とか言っておけばよかったのに、「その偏見を変えたい」とかまで言うから話が盛り上がってるんですよ。
さっきの話と同じように、別にアメリカでは普通のファッションだろうがなんだろうが、日本ではあまりいいイメージがないという文化があるという状況で、自分であえて入れ墨を入れて、「その価値観に合わせろ日本」というのは訳が分かりません。
これはレストランで料理の味に文句を言う客に似ています。
「このサラダ、塩辛い!」
「このパスタ、硬い!」
「この肉、赤い!」
レストランはお客様一人一人の好みの味付けで提供しているわけではありません。もちろん一人でも多くの人に美味しいと思って満足してほしいと思っているのは確かですが、それは料理人が全力で持てるすべての力を料理に捧げるという事であって、客の嗜好に合わせられるわけがありません。
逆になぜそういう客は自分の好みの味の料理がが出て来ると思っているんでしょうか。
そういう論理で言えば、彼らが思っている味がそのある料理の味の正解と考えているという事でしょうが、どこからそんな自信が出て来るんでしょうか。彼らは食の生みの親なのでしょうか?理解に苦しみます。
一言で言うと自己中という事です。
単純に、この入れ墨をめぐる問題に関しては、自己中という話で、完結です。
入れ墨入れること自体に対しては特に反論はないんですけどね。それは本当に自由だし、何なら、ちょっと入れてみたい気もしますしね、僕も。
ちなみに、ベトナムでは入れ墨は1000円もしないと、ベトナムの入れ墨を体の至る所にしている女の子に教わりました。入れ墨に興味があるけどお金がない人はベトナムに行くといいです、おすすめです。
ちなみにその女の子が入れていた入れ墨は、日本語の平仮名で「あまい」とか「かわいい」とかでした。一生消えない入れ墨ですよ。若いって、無知って、怖いですね。
おしまい。