かくほーログ

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見た感じ、そのまんま

俺のおつむじゃ「知らない」と「わからない」の違いについて考えだしたら人生が終わりそう

 

「知りません」「わかりません」の違いについて教えてほしいというイタリアのマフィアを潰すよりも困難な依頼を頼まれました。

 

これは僕にとってはフィルマーの最終定理を解くのと同じくらいの時間を要するとおもうので、おそらく僕の生涯をかけることになるでしょう。

 

 

もう少し遊んでいたかった人生でした。

 

 

この違いについてですが確かに聞かれるまで考えてもみませんでした。まぁ今こんな僕のブログを読んでいるような方々は恐らく暇なのでしょう。なのでこれくらいの疑問を抱くに十分な暇な時間を今までにも持て余していたでしょうから一度は疑問に思ったのではないでしょうか?

え!?俺も暇人なんじゃないかって?いや僕はこのブログを書くので忙しいのでそんなこと考えている暇なんてありません(笑)

 

 

ところでこの違いを知るにあたって何から考えればいいのか全く見当がつかないです。

 

考えるにあたって僕が全力で思いつく方法論としては

Googleパイセンに聞いてみる。

 

でした。

 

 

軽蔑しないでください、僕の生涯がかかっているんです。

そもそも人間が技術を発展させたのが悪いんです。人間はもはや「考える葦」ではなく「Googleの葦」ですね。

言っている意味わかります?意味が分かった人、頭大丈夫ですか?同情します。

 

 

 

 

でもやっぱり自分で何かを考えるということを放棄してしまうとただの「葦」になってしまうので、少しは自分で考えてみることにしましょう、今偶然にも暇なんで。

 

 

 

あなたの言っている意味を知りません

 

これ日本語を学習している僕の生徒がよく使うやつです。

このフレーズ多分間違っていますよね?なぜかは深く考えなくても違和感があるというのはすぐにわかります。

これを言うならおそらく「あなたの言っていいる意味がわかりません」ですよね

 

これの何が違うのか考えてみると、おそらく

「知らない」は知識としてはない、というような意味で

「わからない」は多分「意味を理解していない」、というような意味になるのかなと感じました。

 

多分意味を理解できないときに「知らない」とは使わないような気がします。

この日本語の学習者も多分僕が言っている言葉や単語は何を言っているのか(正確には発音)しているのかはわかるはず。意味は分からなくても、ゆっくり話してひらがなで全部書き取れと言えば書き取れるはずなので、それは僕の言っていることは知っていることになると思います。

 

でも意味までは理解できないから「わからない」というのが適切なんじゃないのかなと感じます。

例えば

ヒエログリフ知ってる?」と聞くと、(常識のある人であれば)みな「知っている」と答えるでしょう。でもそれを読めるという意味で言っているわけではないと思います。

 

もし「ヒエログリフわかる?」と聞かれたら(変態でなければ)「わからない」と答えるのが適切に感じませんか?だって「わかる」には理解できるというニュアンスが含まれているので、みんなは「わかる?」と聞かれたらヒエログリフという文字の存在を知っているのは前提で、その先のそれを読めるかどうかの話をしていると認識するからです。

 

となると多分「知っている」のは常に「わかる」の前にある話で、「知識」があってその次の話が「わかる」という意味なのかもしれません。

 

 

何を「知っている」のかはわかりませんが。

例えば知らない人が僕にナメック語で話しかけてきたとします。その時僕はナメック語は知らなくても、何かの言葉であることは知っていると思えるため、知らない言語でも相手が何を言っているのかわからないと言うのが違和感を感じないんじゃないんかなと感じました。

 

 

でもこれだけで結論に急ぐのも安直な気がします。ほかにも例文をあげて考えてみます。

 

 

 

彼女の年齢は知ってる?

 

「知っているか」と聞かれたときは「知っている、知らない」で答えるのが普通ですが、この例文に関しては別に

「彼女の年齢?いや~わからんなぁ」とも言ってもそんなに違和感がないはず。(僕が日本語を話していればの話ですが)

 

つまりこの状況では「知らない」でも「わからない」でも答えられるというわけ。このような例文がある時はさっきの「あなたの話している意味が知らない」という例文の時の考え方は間違えている可能性がある。

その時の例文では「知らない」は使えなくて「わからない」としか使えない状況でしたね。

この両方使えるときは同じ意味で使っているでしょうか。

 

多分若干違う意味合いで使っていますね。

 

この例文で感じる違いというのは、

「知っている」か「知らない」かを話す時は知識として聞かれているときの答え方なので即答できるイメージがありませんかね。

 

「わかりません」の時は、多分その人が何歳かという知識はないけれど、少しの時間何歳かを考えてみてからの回答のように感じます。なので「わからない」というのは(さっきの例文も踏まえて)意味が理解できないとか、判断ができないという意味で使われていると思われます。

 

(わかりますというときは多分知っていると同じ意味で答えているとは思いますが。)

 

こう考えてみると、このように両方使えるような例文の時の両者のニュアンスはこのように違うといえそうです。

 

 

なので多分最初の英文みたいに、「知っている、知らない」が使えないけど「わかる、わからない」は使えるときの場合は、そもそもその会話の状況が「理解できていない、理解できている」かにしか焦点を充てていない文章だったってことなのかもしれません。

 

コミュニケーションは知識を問ているのではなく伝えるという動作なので、「言っている意味が分かる?」ということを聞いているのは自明の理だからなんですね。

 

 

 

「知らない」は使えて「わからない」が使えない状況

 

すいません日本語苦手すぎて思いつかないんですが(笑)

 

最初の文章は、「知らない」は使えそうで、使えない状況で、二つ目の例文は「ニュアンスが変わるが、両方使える」状況の話でしたが、

 

「知らない」しか使えない状況で、「わからない」が使えない状況ってありますか?

思いつかないので誰か多角的思考能力か想像力か何でもいいんでそこらへんに強い人、教えてほしいんですが(笑)

 

基本的に、「わからない」が使えるすべての状況で「知らない」が使えるということは言えないのですが(例文1の通り)

「知らない」が使える状況で「わからない」が使えない状況ってありますか?

 

 

1分も考えたのに思いつかなかったので、ギブです。(笑)

なのでそのような状況はないという仮説をもとにして話を進めていきます。

さっきもし例文思いついたら教えてほしいとお願いしたんですけど、もし発見したらこの文章が無駄になるので、やっぱり探さないでください。

 

 

なんで「知っている、知らない」で答えられる文章の時は同時に「わかる、わかりません」が使えるんでしょうかね。

 

二番目の文章でわかるように、(大まかにですが)二つの回答ができるときは「知識と知っている」か、「理解、判断、判別ができるか」のどちらとも解釈することができる文章ということになります。

 

でもこの前提だけで進んでしまうと、

「理解判断判別」だけを問う質問もしくはそれに回答に値する文章は存在するけど、知識だけを問う質問もしくはそれの回答に値する文章は存在しないということになっていしまいます。

 

それは多分おかしいですよね。

 

みんな大好き歴史の授業でよく知識問題を問われるときは(即答ではなくよーく考えて答えたとしても)多分理解をしているかどうかではなく知識を聞いていると思います。

よく考えるというのは歴史の流れから解答を導くようなプロセスではなく、ただ単にある人物や歴史的な出来事の名前などを思い出そうと踏ん張っているという意味です。

 

でもその時でも知識を絞り出しているのに、ここでは「ここの答えがわかりません」とも普通にいえると思うんですよ。

 

ってことは、「わからない」というのは結局「知らない」という意味を包括しているんではないのかと思います。

でも意味を考えたときにニュアンスの違いがみられることがあるということは、「わからない」が「知らない」を包括しているのではなくいつからか包括「し始めた」のかなと思います。

 

 

 

本当の意味では今の日本語で「わからない」というのが使えない場面も原点ではあったのかもしれないし、昔はもっと厳密に区別していたのが、みんな何でも「わからない」という言葉で「その知識がない」という意味でも言うようになったんじゃないですかね。

 

なので厳密にいえば「わからない」と言うのは文法的に正しくない文章かもしれないけど、使われ方が変わって間違っているとも言えなくなったみたいな。

 

「~知っている?」「知らなかった」の方がしっくりくる状況はあるけれども「わかる」「わからなかった」とは言えないと言い切れるほど変な感じな状況がほとんど思いつかないんですよね。

 

僕の日本語がおかしいからかもしれませんけど。

 

でも多分もし「わかる、わからない」の意味することろが広がってきたということで考えたとしたら、昔使い分けていた意味は多分「知らない」は「知識」「わからない」は「意味や判断、判別」について使われていたのかなと思いました。

 

 

 

 

正直もうこれ以上今日は考えたくないです(笑)