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見た感じ、そのまんま

外国語を学習するときの大きな壁って、【感情を込めること】だと思うの。

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全力で感情をこめて、

I love you

っていうとなんか恥ずかしんですよね。

 

なんでかって、感情を込めるのはいいんですけど、

多分言い方が正しいかどうか、わかんないからです。

 

 

外国語を学習する時って、その学習言語を母語としている国に住んだりして、90%その言語に触れている生活をしない限り、なかなか感情をうまく込めた話し方ができないと思うんですよ。

 

 

日本語の

「愛しているよ」

 についても、いろんな言い方がありますよね?言い方というのは、言葉の違いではなくて、イントネーションの付け方とか、アクセントの付け方とか、抑揚とか。

小声で優しく言うときもあれば、普通の挨拶のような言い方の時もあるし、泣きながら言うときの言い方もいつもとは違うでしょう。

 

 

これらの話し方を左右する要因の一つとして、感情があげられると思うんですけど、この感情をこめながら外国語の学習、特に会話の学習、をするのはとても難しいんじゃないかと思いました。

 

先も言ったように、その学習言語を母語にしている国で生活をして1年2年と90%以上その言語に触れて生活すれば、いろんな言い回しや話し方に出会うことがあるでしょうから、習得は可能かもしれません。

例えば僕がアメリカで、日本語を一切使わずに英語を使って生活するみたいな感じです。

 

むしろ、今世界ではいろんな第二言語学習、外国語学習についての学習理論や方法論などが研究されていますが、極論言ってしまうと、その外国語を話せるようになるには、その言語を第一言語とする国で生活することが一番なんじゃないかとも感じるくらいです。

 

 

その理由の一つは、感情が込められた言語に触れることが1番と思うからです。

もっと厳密に言うと、その言語を話す人たちの感情に触れることができるということです。

 

結局異文化理解ですね。

 

どんなに文法を学習して、単語の意味を理解しても、所詮その媒体は言葉ですから。

言葉は不完全ですし、文化が違う国の人たちがその言葉にどんなイメージを持つか、どんな感情を持って使うのかっていうのは、理論では説明できないし、肌で感じるしかないんじゃないかなと僕は思います。

 

 

僕自身、自分で英語の学習をしていてもそう思いますし、僕のI love youで英語を母語とする女性を落とせる自信がありません。

僕の場合は日本でも愛しているとあまり言われませんから、アメリカに行ってもI love youといわれないと思うから一生I love youは感情をこめられない気がしますけど。

 

それに、今ベトナム日本語教育をしているんですが、やっぱり違和感を感じることが多いです。

 

文法もわかるし、言葉もわかる。でもそれをどんな気持ちで話すべきかは難しいです。

仮に感情をいれたりしても、やっぱりネイティブにとっては何か違和感を感じますね。音声を使って、それを真似したところで、その1場面や1状況での話し方しか真似できませんし、そもそも音声だけでは状況把握のイメージはなかなかつかないですしね。

 

 

 

現に4か月余りベトナムで日本語教えていますが、会話の練習の時に、イントネーションを何度練習しても、何度、僕の話し方を聞かせてもなかなか日本人っぽく話せるようにならないんですよ。

 

どうして僕が「感情が原因かもしれない」と思ったかというと、ある日の会話の授業で

「好きな人、嫌いな人を説明する」という授業を行ったんですよ。ベトナム人は日本人に会ったら、すぐ、「ベトナムの女性はどうですか?」とか、「どんな女性が好きですか?」とか聞いてくるので、その人の性質とか性格を描写できる会話練習をしようと思ったんですね?

 

 

いきなり説明はできませんから、性質や正確を表す言葉を学習して、そのあとに「私は~人が好きです、嫌いです」という発表をしてもらうという流れでした。

 

 

その単語リストの中に、僕は「バカ、アホ」という単語をいれたんですよ。

 

それである生徒が、「バカな人は嫌いです」みたいな文章を聞いたとき、全く悪口に聞こえなかったんですよ。

 悪口?悪口ではないか(笑)でもなんか、悪意を感じなかったというか、邪悪なものが感じられなかったというか(笑)

とにかく、なんか、僕らが思う「バカ」とはやっぱりなんか違うんですよ。

僕の「バカ」の教え方が悪いから伝わらなかったというのも大きな要因の一つですけど、他にも悪口とか、汚い言葉を教えてみたんですけど、やっぱりなんか違うんですよね。彼等からはなんか悪意を感じられないんですよ。

 

何を教えたかはここでは詳しくは言えません。すいません。でもとりあえず日本人ならだれでもわかる暴言だったり汚い言葉です。

 

ちなみにこれらの言葉を教えるときはもちろん汚い言葉という前提を共有して絶対に使ってはいけない言葉で、この授業では一つのネタとして教えた、と。言ってはダメだけど、ドラマとか映画とかで使っているときに意味が分かる程度でいいよ、という断りを入れて理解させていますので、安心してください。(何を?)

 

 

 

クロスワードとか、(一種の)スラング?とかは、やっぱり、それを口にするときは、少なからず何か邪悪なものが潜んでいるはずです(笑)

 

 

でも学習者にとっては、実際にどんな場面で、どんな感情を持った時に使われるか、その言葉の意味を知っただけでは理解できないので、感情を込めた、ネイティブのような言い方にはならないのは当然でしょうね。

 

むしろ悪口や汚い言葉の言い方がかわいく感じるくらいです。(笑)

 

 

 

 

だからこういう悪口だけではなく、外国語を学習するとき、特に会話の練習では、ロールプレイングでできるだけリアルにするとか、こちら側も、感情を込めた言い方を意識するとか、逐次どんな場面だったり感情で使うかというのを共有するのを意識した方がいいのかなと、思いましッ!!

 

 

 

感情を理解する必要性に観点を置いたら学習者の習得度合上がるかどうかみたいな、論文のネタになりそうですね。

 

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