日本語における条件節?条件なのか?
日本語って案外説明するのは難しいと十中八九感じるようになりました。
4月からベトナムに日本語を教えにインターンシップに来ていて、インターンシップといっても時間はあまりまくっているので、ブログかなんかに書き留めておこうかなと。書き留めておけば調べたことや経験、思考なども頭に定着しやすくなるかなと思ってしれっとブログ書き始めることにしました。自己紹介とかは書いていくブログを通して想像していただければ。ここでは日記や自分の興味を持ったことや体験みたいな感じで書き留めていこうかなと思います。
今日授業で疑問を持たれた、「~たら~た」という日本語文章。これはどんな説明をすればすっきりした説明ができるんだ。
どっかの日本語学習教材には「~ば~」と一緒って書いてあったけど、突っ込みどころしかない(笑)これは本当に突っ込みどころしかないのか、それとも究極の簡略化で最終的には正しいことを言っているけど俺の理解力を超えているのかもしれない。
そもそも「~たら~」というのは何種類か用法と意味があって、「~ば」も同じようにすべての用法が一緒?といえるんだろうか。どっちかにどっちかの特有の意味や用法はないんかな。もしあるならそれを整理すれば授業にも使えるかもしれん。
まず「~たら~」はどれくらいの異なる用例がある?
これは、因果関係を示した分に見えなくもないんだけど、どうなんだろう。狂犬病にかかったのはベトナムに行ったことの直接的な結果ではないよな。「~たら~た」ていうのは、ある行動後に予想外のことに遭遇した。って感じ?
でも「浮気をしたら、彼女にぶん殴られた」というのは因果関係も表している気がする。でも予想外の結果、出来事の描写というのは必要条件というか必ず入っている要素。だとしたら、因果関係は性質上意味の中に含まれやすいだけで、文法的に成り立つかどうかには関係ないってことよね。
「家に帰ったら、ゴキブリがマッハ2で走っていた。」というのは普通にいう言葉ではあると思うけれど、ゴキブリがここにいるという事実は話し手が家に帰ったのが原因ではないから。
じゃあ、仮定法的な要素の話はできる?そもそも今までの文章は時制が過去から現在にかけての空間の中の話で、未来志向や仮想の世界の話の例文はなかったな。まず仮想の話、もしもの話をする場合「~たら」ではなく「~だったら」とか「~てたら」とかになって「~たら」とは別の文法になっている気がする。
「女だったら(女になってたら)、もっと簡単にお金を稼げたのに。」みたいな
というかこれは英語の仮定法過去と同じ、現実に反する過去に関しての言及っぽいな。
でも未来志向のときもあって「もし佐々木希の夫になったら、一生家から出ないで一緒にいるのに。」っていうのは過去の表現の「なってたら」ではなくて「なったら」という感じの表現になっているし。
この未来志向と仮定法過去は、予想外の結果を表現する「~たら~」ていうのと同じものなんか。
ここでもう一つの「~ば~」っていうやつの例文の種類考えると
「浮気すれば彼女にぶん殴られるよ。」
「ドラえもんがいれば、好きなところへ一瞬でいける。」
これはどちらも仮定の話にはなっていて、実際に起こるかどうかは関係なく話し手の予想。因果関係もあまり関係ないような気がする。話し手の気分や主観ではあるから。でも主節の結果の根拠はあるのか。それが因果関係であるとは限らないか。
ところでこれはさっきの「~たら~」と同じ、あの謎の教材は言っているが正しいのだろうか。
でもあきらかに仮定法のほうの「~たら~」の分は同じ意味といえるとは思うけど。
というか「~ば~」と同じ場合の「~たら」というのも結局「~た(な)ら(ば)」の省略系なだけじゃんね。
「もし娘溺泉があった(な)ら(ば)、即入るのに」
は大丈夫だけど、
「家にかえった(な)ら(ば)、父親がアル中で倒れていた」ていうのは明らかにおかしいしね。
結局「~ば~」というのは条件節とか仮定法の意味は表現できるけど、「~たら~」の方のみにしかない用法があるって感じでかんたんに二つか同じ意味と説明したら後々誤解とか生まれるんじゃないのかな。
「この本を読めば、エッチな性格になれるよ」
「この本を読んだら、エッチな性格になれるよ」
「この本を読めば、エッチな性格になったよ。」
「この本を読んだら、エッチな性格になった。」
3番目だけおかしい。
結局主節の時制?によって意味が判断できて、「~ば~」というのは意味の持てる範囲は狭い。
これは次に日本語を教えるとき、これは両方踏まえて説明する方がわかりやすいのか、別々の方がいいのか、びみょいな(笑)